フォークト事件の4年後、マルクスが、ふたたび決断を迫られる時が来ました。 マルクスは、1863年7月に『61〜63年草稿』を書き終わり、その著作の表題を『経済学批判』から『資本論』に改めて、8月から第一部の執筆(のち
科学的社会主義
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑬・・革命家マルクスの決断(上)/反共攻撃には一大打撃を
『資本論』は、マルクスが書斎のなかで書きあげた著作ではありません。生活のためほとんど毎日のようにいろいろなテーマでの新聞論説の執筆にかかり、たえず起きてくる運動上の課題もこなしながら、昼間、余裕があれば大英博物館で膨大
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑫・・マルクスの未来社会論(4)/「社会主義をめざす」国をどう見るか
マルクスの未来社会論から見て 現在の世界には、社会主義に到達した国は、まだどこにもありません。存在しているのは、国の民族的解放と独立を中心に民主主義的な変革をおこない、社会主義への発展をめざすとしているいくつかの国々で
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑪・・マルクスの未来社会論(3)/過渡期の研究
旧社会が新社会に交代することは、歴史的な大仕事で、短期間で済むことではなく、一定の「過渡期」が必要になります。この問題にマルクスが本格的に取り組んだのは、『資本論』第一部刊行4年後の1871年、フランスの労働者階級の壮
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑩・・マルクスの未来社会論(2)/輝かしい未来像−−−人類社会の「本史」
「必然性の国」と「自由の国」 未来社会論の本論は、『資本論』第三部の最後の篇で解明されています(新日本新書版⑬1434〜1435ページ)。たいへん、圧縮した表現になっていますが、その要旨は次の通りです。 マルクスはま
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑨・・マルクスの未来社会論(1)/未来社会論をめぐるレーニンの誤解をただす
次は、資本主義社会と交代する次の社会の問題です。マルクスは、『資本論』で、未来社会のどのような展望をしめしたのでしょうか。 未来社会論が百年以上も見落とされてきた マルクスが、未来社会を、「発達の場」である「自由な時
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑧・・資本主義は人類史の過渡的一段階(3)/自由と民主主義の旗
民主主義の政治体制が可能に マルクスは、『資本論』にいたる最初の草稿のなかで、資本主義を奴隷制・農奴制などの以前の搾取制度とくらべて、個人の「人格的独立性」が承認されたところに質的な最大の違いがあることを強調しました。
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑦・・資本主義は人類史の過渡的一段階(2)/「世界市場」の形成
ヨーロッパが世界の「片隅」になる マルクスが資本主義の歴史的功績としてしばしば強調するのは、この経済体制がはじめて世界市場をつくりだした、ということです。 『資本論』のずっと以前のことですが、たいへん印象的なマルクス
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑥・・資本主義は人類史の過渡的一段階(1)/物質的生産力の高度な発展
マルクスの資本主義に対する見方は、批判一本やりではありませんでした。実際には、人間社会の歴史に占める資本主義時代の積極的な役割をマルクスほど深く理解した人物はいなかったと言っても、決して言い過ぎではないでしょう。 未来
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑤・・現代に光るマルクスの資本主義批判(4)/搾取と支配が社会全域に
限度なしに拡大する社会の格差 「人民の消費力が減退し、労働者階級の窮乏と貧困とが増大しているのに、それと同時に上層階級における富の不断の蓄積と資本の不断の増大とが行われているということは、この国の社会状態のもっとも憂鬱
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三③・・現代に光るマルクスの資本主義批判(2)/結集して「社会的バリケード」を
労・資の抗争。二つの歴史的教訓 マルクスは、『資本論』第一部の「労働日」の章を書くために、イギリス資本主義の発足以来の、労働時間をめぐる労働者と資本家の階級的抗争の歴史を徹底的に研究しました。そして、そこから、21世紀
『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三②・・現代に光るマルクスの資本主義批判(1)/「祭が終わってから…」/原発問題と地球温暖化で問われるもの
経済を管理する「社会的理性」がない “資本主義社会では、「社会的理性」はいつも「祭りが終わってから」はたらく”(新日本新書版⑥497〜498ページ) これは、利潤第一主義を行動の原理とする資本主義社会が、経済を管理す
『資本論』刊行150年に寄せて①・・「資本主義」−−マルクスの命名が世界語になった/社会科学研究所所長 不破哲三
誕生して300年は無名のまま 私たちは自分たちが生きているこの社会を、「資本主義」という名前で呼んでいます。いったい、こういう呼び方は、いつ、誰がはじめたのか、ご存じでしょうか。 いまから150年前の1867年9月、