マルクスの未来社会論から見て
現在の世界には、社会主義に到達した国は、まだどこにもありません。存在しているのは、国の民族的解放と独立を中心に民主主義的な変革をおこない、社会主義への発展をめざすとしているいくつかの国々です。私たちは、これらの国々を「社会主義をめざす国」と呼んでいます。ここでは、個々の国の個別論ではなく、いま見てきたマルクスの未来社会論をふまえて、これらの国々をどう位置づけるのか、この問題をごく大づかみに考えてみたいと思います。
経済的土台がまだ発展途上にある
そこでは、いくつかの角度が重要だと思います。
第一は、これらの国々の革命が、社会主義の経済を作り上げるだけの発展した物質的生産力をもたない段階でおこなわれた革命だった、ということです。そこでは、当然、当面可能な改革をすすめながら、生産力を発展させて、社会主義の経済的土台を作り上げることが、社会主義をめざすうえでの大きな任務となります。
1917年に最初にこの道に踏み出したロシアも、帝国主義強国の一つではありましたが、経済的には発展がおくれており、経済的土台となる物質的生産力の発展をいかにしてかちとるかが、革命後の重大な課題となりました。レーニンは、一連の試行錯誤を経て、1921年、かなり長い時間をかけ、農民との提携を確保しながらこの目的を達成する「新経済政策」を打ち出しました。しかし、スターリン時代に、この政策は放棄され、専制的なやり方で工業生産力の急成長をはかる政策が強行されました。
「社会主義をめざす」国々は、いま、それぞれの国なりの独自のやり方で経済建設を進めていますが、どの国も、発達した資本主義国の到達している状態にくらべれば、まだおくれている状態にあります。中国の経済発展はその先頭に立っており、国内総生産では、日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2位になりましたが、人口1人当たり(2016年)では、米国5万7436ドル(世界8位)、日本3万8917ドル(22位)、中国8113ドル(世界74位)で、まだおくれた水準にあります。「社会主義をめざす国」の最前線にある中国でも、経済力総体の水準がまだこういう段階にあることは、よく見ておく必要がある点です。
政治・経済に「ソ連型」輸入の歴史
第二は、これらの国々が、革命の成功後、社会主義をめざす道をとり始めたときに、当時、成功した「社会主義の先進国」と見られていたソ連型の体制を、政治・経済の両面でモデルとしてかなり大幅に取り入れた歴史をもっていることです。その後、どこでも、いろいろな変化を経験してきていますが、最初の移行期にソ連型モデルの輸入から出発したことは、現在なお多くの影を落としているように見受けられます。それらの事情もふくめて、「社会主義をめざす」路線は、全体として、模索あるいは探求の過程にあるといってよいでしょう。
覇権主義の歴史を持つ国の注意点
第三。対外政策の問題では、覇権的大国の歴史を持つ国では、とくに覇権主義の再現を警戒する必要があります。レーニンは、スターリンの活動に大国主義の傾向があらわれたとき、そこにツァーリズム時代の「大ロシア的排外主義」復活の危険を見て、それとの「生死をかけた闘争」を宣言しました。レーニンの警告がいかに正しかったかは、その後、スターリンの覇権主義およびその後継者たちの行動によって実証されたところでした。
マルクスは、インタナショナルの「創立宣言」(1864年)のなかで、解放遅動がめざすべき国際政治の基本目標を、「私人の関係を規制すべき道徳と正義の単純な法則を諸国民の交際の至高の準則として確立すること」という定式にまとめました。ここには、覇権主義、大国主義の行動を許す余地はまったくないのです。
私たちは、1960〜70年代に、ソ連と中国の二つの大国からの覇権主義、干渉主義の攻撃との激しい闘争を経験しているだけに、世界政治におけるその危険に対しては、誤った過去の再現を許さない立場で、対応してゆく必要があると考えています。
いま三つの点を挙げました。マルクスの目で「社会主義をめざす国々」の現状と前途を考えるとき、これらの点が大きな意味をもつのではないでしょうか。
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2017年8月12日より転載)