民主主義の政治体制が可能に
マルクスは、『資本論』にいたる最初の草稿のなかで、資本主義を奴隷制・農奴制などの以前の搾取制度とくらべて、個人の「人格的独立性」が承認されたところに質的な最大の違いがあることを強調しました。(『57~58年草稿』)
奴隷主と奴隷の関係、封建領主と農奴の関係は、すべて権力的な支配にもとづく搾取関係であるのにたいし、資本と労働者の関係は、自由な人間と人間との間の労働力の売買関係にもとづくものだったからです。『資本論』でも、労・資の関係では、建前としては、「自由」と「平等」が経済関係の原則となることが強調されています。(新日本新書版②300~301ページ)
このことは、資本主義社会の発展とともに、政治的上部構造で、国民に平等の権利を与える民主主義の体制、共和制あるいは議会制民主主義の実現が可能とも必然ともなってくることを示すものでした。
ギリシアやローマの時代にも共和制はありましたが、それは、被搾取階級である奴隷たちを排除した、支配階級だけの共和制でした。国民全体を代表する民主主義の制度は、資本主義の発展とともに、はじめて可能になったもので、1776年のアメリカの独立と1789年のフランス大革命は、国民を代表する民主的共和制の歴史上初めての登場でした。
民主主義革命の先頭に立って
マルクスが革命活動に参加した時期、1840年代は、フランス革命終結後の反動期で、民主主義の制度をもった国と言えるのは、ヨーロッパではスイスぐらいしかありませんでした。資本主義の先進国イギリスでも、ブルジョアジーは君主制や貴族・地主階級にたいしては自分たちの権利を主張しましたが、労働者は政治から閉め出されたままでした。
マルクス、エングルスは労働者の選挙権を要求するイギリスのチャーチズムの運動に早くから支援の活動を続けてきましたが、1848年、フランスとドイツで革命がおこった時には、当時、活動していたパリから、ただちにドイツの故郷ライン地方に帰って革命の先頭にたちました。彼らが掲げた革命の旗印は、「全ドイツを単一不可分の共和国に」でした。
資本主義の産物である民主主義の政治制度が、社会主義をめざす変革において、どういう役割を果たすのか。この問題で、マルクスが発展的な見解を示しだのは、1870年代の中頃でした。
イギリスでは、数次の選挙制度改革ですでに労働者階級の多数が選挙権をもつようになっていました。フランスではク1870年の対独戦の敗北でボナパルト帝政が瓦解し、共和制が復活しましたが、パリ・コミューンの敗北後、反動が荒れ狂っていました。ドイツでは、オーストリアを除く全ドイツの統一が完成しましたが、実体は帝政の専制政治で、議会は飾り物でした。
ヨーロッパのこれらの諸事件にさきだって、共和制の威力を発揮する出来事が、アメリカで起こりました。1860年の大統領選挙で反奴隷制派のリンカーンが勝利した時、奴隷制擁護の南部諸州が内戦を起こしたのです(61年)。4年にわたる内戦は、リンカーン派の勝利に終わり(65年)、奴隷制は一掃されました。大統領選挙の結果が、国の政治・経済の根本問題を解決したのです。アメリカでのこの事件は、マルクスの革命観に大きな影響を及ぼしたようです。
マルクス、多数者革命論を提起する
1870年代後半、マルクスは、ドイツの議会に運動弾圧の反動立法が提起されたとき、それについての覚書のなかに、革命の展望に関する新しい見解を書きつけました。
「時の社会的権力者のがわからのいかなる強力的妨害も立ちはだからないかぎりにおいて、ある歴史的発展は『平和的』でありつづける。たとえば、イギリスや合衆国において、労働者が国会(パールメント)ないし議会(コングレス)で多数を占めれば、彼らは合法的な道で、その発展の障害になっている法律や制度を排除できるかも知れない。…それにしても、旧態に利害関係をもつ者たちの反抗があれば、『平和的な』運動は『強力的な』ものに転換するかも知れない。その時は彼らは(アメリカの内乱やフランス革命のように)強力によって打倒される、『合法的』強力にたいする反逆として」(1878年9月『マルクス・エングルス全集』[34]412ページ)
これは、多数者革命論を、マルクスがはじめて提起したものでした。
マルクスが、ここで問題をイギリスとアメリカに限定した根拠は、先ほどの情勢説明でおおよそを理解してもらえると思います。
マルクスの発言から約140年、当時は、民主主義の代表的な国と言えば、イギリスとアメリカしかなかったのですが、現在では、政治的民主主義は、文字通り地球規模にひろがっています。もちろん、これをくつがえそうとするさまざまな逆流はあり、それとのたたかいを忘れることはできませんが。
それにしても、1878年のマルクスが、革命の平和的、合法的発展の可能な国の代表として、君主制の国であるイギリスと、共和制の国であるアメリカとを並べてあげたのは、なかなか興味深いことだと思います。
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2017年8月8日より転載)