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『資本論』刊行150年に寄せて 不破哲三⑪・・マルクスの未来社会論(3)/過渡期の研究

パリ・コミューンの成立に湧く市民

 旧社会が新社会に交代することは、歴史的な大仕事で、短期間で済むことではなく、一定の「過渡期」が必要になります。この問題にマルクスが本格的に取り組んだのは、『資本論』第一部刊行4年後の1871年、フランスの労働者階級の壮挙、パリ・コミューンの足取りを研究するなかででした。

パリ・コミューンとマルクス

 パリ・コミューンとは何か。

 それまでフランスは、ナポレオンのおいであるボナパルト3世の専制支配のもとにありました。そのボナパルトが1870年、ドイツに無謀な戦争を仕掛けたがたちまち敗戦、皇帝自身も捕虜になり、ドイツ軍が国境を越えてパリにせまるという危機的な事態に見舞われたのです。フランスの支配階級は、パリを放棄して南部方面に共和政府をたてます。このとき、71年1月、見捨てられたパリが国民軍を中心に決起し、3月には、選挙によってパリの民衆を代表する臨時政府をうちたてました。これが、パリ・コミューンでした。

 コミューンは、5月、政府軍の総攻撃を受けて崩壊します。しかし、この臨時政府が、2カ月という短期間だったとはいえ、内外の敵からパリを防衛し、160万の人口をもつ世界有数の巨大都市をみごとに統治したことは、人民権力の持つ力をいかんなく発揮したものでした。

 マルクスは、この壮挙を歴史の記録に残すために、コミューンの事業の全面的な研究にとりかかりました。コミューンの活動は、本格的な社会改革に手をつけるには至りませんでしたが、マルクスは、さらにその前途にまで研究を進め、そこから、労働者階級の解放の事業にかかわる重大な結論を引き出したのです。

マルクスのパリ・コミューン賛歌

 71年5月28日、コミューンはフランス政府の野蛮な弾圧によって壊滅させられました。インタナショナルは、6月半ば、呼びかけ『フランスにおける内乱』を発表してコミューンの偉業をたたえました。この呼びかけは、マルクスが執筆したものでした。

 そしてマルクスは、この呼びかけの中に、次のような、「過渡期」にかかわる大きな見通しを書き込んだのです。

 “労働者階級は、社会のより高度な形態をつくりだすためには、長期の闘争を経過し、環境と人間をつくりかえ

る一連の歴史的過程を経過しなければならない”

 この文章では、「環境と人間をつくりかえる」とは何か、その仕事になぜ長い「歴史的過程」が必要になるのか。その筋道がわかりません。そのために、この文章の意味は、長い間、理解されないできました。ところが、マルクスは、実はそのことの解説まで書き残してくれていたのです。その筋道は、「呼びかけ」の準備のために書いた「草稿」に、はっきりとした言葉で説明されていました。

「奴隷制のかせ」からぬけだす

 その説明の要旨は、次のとおりです。

 資本主義のもとでも、大工業段階になると、労働者の共同作業が大規模に組織されて、資本家の指揮のもとではあるが、労働者の集団が生産過程を動かす体制がつくられてきます。マルクスは、『資本論』のなかでも、これを「社会的生産経営」と呼び、社会体制が変われば、その労働者の集団が今度は文字通り生産の主役になって、新しい生産体制ができあがるという見通しを述べたりもしていました。

 しかし、コミューンの活動なども観察しながら、深く考えてみると、ことはそう簡単ではないことに気が付いたようです。資本主義の下では、集団での共同作業といっても、それはすべて上からの指揮、資本家の命令のもとでの共同作業です。その経験が染みついた労働者が、自由な独立した立場で、しかし生産活動に必要な規律をきちんと守りながら共同作業をする、そういう新しい時代を担う階級に成長するには、資本主義で身に付いた悪習を全面的に乗り越えなければなりません。マルクスは乗り越えるべきこの悪習を「奴隷制のかせ」と呼びました。

 社会を変革し、生産手段を資本家の所有から社会の所有に移すことは短期間でできても、労働者階級が「奴隷制のかせ」を完全に脱ぎ捨てて、社会と生産の主人公にふさわしい階級に成長するには、「環境と人間を変える」長期の歴史過程が必要だ、これが、マルクスの「過渡期」についての新しい結論だったのでした。

 私たちは、マルクスのこの結論を重視し、2004年の党大会で改定した新しい党綱領には、そのことを、「生産手段の社会化」について述べた部分で、次のように明記しました。

 「生産手段の社会化は、……日本社会にふさわしい独自の形態の探究が重要であるが、生産者が主役という社会主義の原則を踏みはずしてはならない。『国有化』や『集団化』の看板で、生産者を抑圧する官僚専制の体制をつくりあげた旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」

 ここで名指ししているように、旧ソ運は、「社会主義」の看板を掲げながら、資本家に代わって、専制国家が労働者にたいする「奴隷制のかせ」を握り続けた“ニセ社会主義”の典型でした。

(つづく)

(「しんぶん赤旗」2017年8月11日より転載)