福島県伊達市梁川町(やながわまち)に住む須藤健さん(77)は「3・11」から4年6ヵ月がすぎた今も洗履物は屋内に干しています。極力放射線量の少ない食材を選び、飲み水もペットボトルです。
梁川町はあんぽ柿が特産品。同町五十沢(いさざわ)で開発されました。生産量は全国第1位を誇ります。
ところが、原発事故で出荷できませんでした。生産自粛が続き、2013年に製造が解禁され、3年ぶりに出荷できるようになりました。
■生業訴訟に参加
「これだけの人災を起こしておいて誰も責任をとっていません。原発事故にたいする司法の判断を明白にさせたい」と、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟原告団に加わりました。
「3・11」後、原発はゼロでしたが、国は鹿児島県の川内原発を再稼働させました。「人間が造り出したものに『絶対安全』というものはありません。子どもたちのためにも未来に向かって国と東電の責任について私たちの世代で決着をつけないといけない。原発ゼロヘ行くべきだ」と考えるからです。
須藤さんは戦争が終わった8月15日、小学校2年生でした。「これまで使っていた教科書は半分以上が墨塗りになりました」。まもなくして当時の文部省が作った「あたらしい憲法のはなし」で憲法について学びました。
福島大学学芸学部(後の教育学部)に入学。「60年安保闘争のころで学内は『安保反対』で騒然としていました」と言います。
「再び子どもたちを戦場におくらない」と、大学卒業後、教員になり、37年間、美術の教師を務めた須藤さん。二人ひとりの子どもの能力の全面発達と、子どもたちが主人公の授業に心がけました」
在職中、木材工芸作品を生徒全員で共同制作し完成させました。今も卒業記念として残っています。「生徒に協力する力をつけさせることができた」と、教師生活の思い出として心に残っています。
■「9条の会」結成
9条を守りたい人たちと今年7月に「梁川町9条の会」を結成しました。結成を記念して「2015やながわ平和のための戦争展」を9月12、13日の両日開きました。
展示品には町民から梁川町戦没者819人の名簿、出征軍人のたすき、千人針、特攻隊で亡くなった青年の遺品などが寄せられました。
「『戦争はだめだ』という共感を広げたと思います。『戦争法』は憲法の土台を壊すものです。安倍首相の野望を通させてはならない。人を殺してもいいということを認めるわけにはいきません。首相には命を大切にするという人間的なものが欠落していると思います。廃止までがんばります」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年9月22日より転載)