福井県高浜町の若狭湾沿いの地層から、14~16世紀頃の津波の痕跡とみられる堆積物を、福井大の山本博文教授(地質学)らが見つけました。若狭湾沿岸は1586年の天正地震で津波に襲われたと伝える古文書の記録があり、その発生を裏付ける地質上の証拠となる可能性があります。5月24日に千葉市で開かれる日本地球惑星科学連合大会で発表します。
太平洋側に比べて不明な点が多い日本海側の津波を詳しく調べる文部科学省のプロジェクトの一環で、山本教授らは、福井県内の海岸近くにある沼地や湖などの地層を幅広く調べました。
津波の痕跡らしい堆積物が見つかったのは高浜町薗部地区。海岸から約500メートル内陸で、かつて湿地帯だった水田から、14~16世紀頃の地層(深さ約1メートル)中に、海岸の砂とみられる丸い粒子や貝殻、ウニのトゲなどを含む層が確認されました。
この水田の海側には高さ(海抜)10メートル前後の丘がありますが、丘からは津波の痕跡は見つかりませんでした。発見場所の水田の近くには笠原川が流れており、丘に刻まれた谷を通って海に注ぎ込んでいます。山本教授は「津波は丘を乗り越える高さはなく、笠原川をさかのぼった津波が、海の砂や貝殻を内陸まで運んだのではないか」と推測しています。
天正地震は、若狭湾や伊勢湾などで津波が起きたとする文献が複数、残されているが、地質のデータは確認されていませんでした。
国が昨年8月、日本海側全域の津波について、初めてまとめた想定によると、高浜町は最大で6・6メートルと推定されています。
天正地震 マグニチュード8級の巨大地震で、近畿、北陸、東海地方を襲ったとみられます。当時、日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスは「日本史」という文献に、若狭湾で「大波が猛烈な勢いで押し寄せて町を襲い、ほとんど痕跡をとどめないまでに破壊した」と書き残しています。
6キロ北西に高浜原発
痕跡発見地の約6キロ北西には、関西電力高浜原子力発電所があります。3、4号機の再稼働を目指す関電は、最大6・7メートルの津波を想定し、高さ(海抜)8メートルの防潮堤(約700メートル)を設けるなどの対策を行い、今年2月、国の安全審査に合格しています。
関電などは2011~12年に若狭湾沿岸などで津波の痕跡調査を実施。敦賀市内の池で津波によって運ばれた可能性がある約5500年前の痕跡を確認し、「原発の安全性への影響は認められない」としたが、今回の痕跡発見地は調査していませんでした。原子力規制庁によると、新たな知見が出た場合、「内容によっては電力事業者が調べる必要がある」といいます。関電は読売新聞社の取材に対し「調査の内容を承知しておらず、コメントは差し控える」としています。
(読売新聞2015年5月19日付けより転載)