福島県郡山市でガラス店を営む石井千代子さん(70)は、東京電力福島第1原発事故後、気持ちが晴れない状況が続いています。
「何をやっても放射能のことが頭から離れない。何かが覆いかぶさったように包まれている」
■生業訴訟原告に
「東電は、戦争中の大本営発表のように本当のことを言わない。東電は信用できない。国のやっていることはうのみにできない。本当のことを知りたい。けじめをつけるためには生業(なりわい)訴訟で勝訴することだ」と、原告に加わりました。
石井さんの実家は、伊達市の農家でした。昔はランプで暮らしていました。タバコの葉っぱを一枚一枚、2人一組で丁寧に広げて干しました。「今は、実家の田畑は荒れ放題」だといいます。
集団就職で東京に出た石井さんは、東京で結婚。夫(74)は、タクシー運転手で全自交の労働組合員でした。日本共産党衆院議員(当時)の松本善明さんなどから「原発反対」の話を聞くことがあったといいます。
1967年9月、夫の実家の郡山市に戻りました。
この年、三重県四日市市のぜんそく公害が社会問題となっていました。美濃部革新都政が誕生したころでした。
夫は、ガラス店の仕事を親から継ぐために郡山に帰ったのです。アルミサッシなどの施工なども手がけました。
2011年、原発事故のあった年の夏。孫たちを神奈川県藤沢市に避難させました。事故後の3ヵ月はガラス店の仕事はありませんでした。「原発事故があったために仕事現場が中止になったのです」
夫は野菜作りなど畑仕事ができなくなりました。孫たちもスイカ割りやバーベキューの楽しみが奪われました。
国民と福島の声に耳をかさずに原発再稼働をすすめる安倍首相は「狂気の沙汰だ」といいます。
「私の原発反対の原点は、あの第五福竜丸事件です」と石井さんはいいます。
第五福竜丸は、54年3月1日に、アメリカの水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた遠洋マグロ漁船です。
■「死の灰」の脅威
「死の灰に脅かされているのは私たち福島県民も同じです。第五福竜丸のときはマグロが食べられなくなりました。今はコメや野菜。放射線量は、除染をしても高いです」
石井さんたちは、福井地裁が高浜原発の再稼働差し止めを命じる仮処分決定をおこなったことに勇気をもらっています。
「原発を廃炉にして、再生可能な自然エネルギーに変えさせます」。石井さんの決意です。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年5月17日より転載)