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被災者を置いてきぼりに・・福島の声そのまま伝えたい/作家 渡辺一枝さん(70)

ikiru15-4-11 作家の渡辺一枝さんは2011年8月から、東京電力福島第1原発事故の被災地を訪ね、被災者の話を聞いてきました。「当事者のことばを、そのまま伝えたい」と東京で被災者の話を聞くトークの会「福島の声を聞こう!」も主宰しています。4年目を迎えた今の思いを聞きました。

(君塚陽子)

 今年の3月11日の朝は福島県南相馬市で迎えました。粉雪の舞うとても寒い日でした。「鹿島の一本松」と呼ばれる松が一本残った右田浜の浜辺で、仮設住宅のみなさんと海に花を手向けました。

人を分断する線引き罪重い

 道路が開通したりして、一見復興しているかのような報道が目につきますが、実際には「置いてきぼりをくっている」という感覚でいる人が多いのです。

 警戒区域の指定が解除され、日中は入れるようになった地域もあります。でも家の片付けに行けば行くほどつらくなって、「もう行かね」と。

 しかも最初は、同じ被災者で気持ちが通い合っていたのが4年たって、家を建てて仮設を出る人、集団移転に申し込んで当たった人、落ちた人‥、違いが出てきて気持ちがばらばらになり、百人いれば百の問題があるようになってきています。

 同心円の線引きは、人を分断させ、すごく罪が重いと思います。原発事故の刑事責任、民事責任を問い続けなければいけない、再稼働なんて、とんでもないですね。

                 ◇

 毎月、被災地に泊まり、話を聞かせてもらっています。南相馬市に行くことが多いのですが、行くたびに、もっと知りたいと思うことばかりです。

 見聞きしたことを雑誌に書いたり、メールマガジンで発信したりしていますが、それはやはり「私の言葉」です。そんなもどかしさがあって、福島の被災者を招いて話を聞く「会」を2012年から始めました。不定期でこの3月に14回目を迎えました。

当事者の言葉ずっと伝わる

 南相馬市に住む男性が「会」で話したことかありました。原発事故直後の混乱の中、妻と子どもを岩手県に避難させたとき、小学1年の嬢さんが電話口で泣いて「放射能で死んでもいいからパパと一緒にいたかった」と。彼はみんなの前でそう言いながら声を詰まらせ‥。

 当事者が自分の言葉で自分の思いをじかに話すことは、ずっと伝わるように思います。

 本当は誰もが一度は被災地に行ってほしい。空気感覚といいますか、現地に行かないと気づかないことがあります。せめて現地の人の話を直接聞くことで伝わる何かがあると思います。

 これからも、みなさんが福島を思い出すきっかけをつくれればいいなと思っています。

Unknown ※トークの会の発言を再構成した『福島の声を聞こう!  3・11後を生き抜く7人の証言』(オフィスエム)を出版しました。

〈わたなべ・いちえ 1945年ハルピン生まれ。1987年に18年間の保育士生活に終止符を打ち作家活動に入る。以後、チベット、中国、モンゴルヘの旅を続ける〉

(「しんぶん赤旗」2015年4月11日より転載)

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