東日本大震災と福島原発事故の救援・復興福島県共同センターの中核組織として活動する福島県教職員組合いわき支部の書記長を務める坂井聡さん(56)。「『3・11』後は自分の意識が変わった」といいます。
■待っていられぬ
「あの時、教育委員会の指示を待っていられないことが次々と起きました。無力ではないということを信じてこの4年間活動してきました」と振り返ります。
小学校5年生の担任でした。経験したことのない地震が起きたのは、全校児童を下校させた後でした。
帰宅途中に大地震に遭遇。泣きだす子どももいましたが、「学校へ戻ろう」と話し合い、引き返してきて校庭で親の迎えを待ちました。
「子どもたちの判断力を見直しました。避難訓練は学校内で地震などに遭遇した場合の訓練です。下校途中での安全確保と避難については想定していなかった。子どもの判断力をほめてあげたい」
坂井さんは、家族4人で新潟県に避難しました。1週間で学校を再開することになり、いわき市に戻りました。「通知表を渡していなかったため、それを渡すことから始めました。生徒たちの9割はいわき市に戻りましたが、まだ戻らない生徒もいます」
■運動能力が心配
現在、小学校に在校している低学年の子どもたちは当時、入学前でした。「外遊びができなかった子どもたちで、すぐに転ぶなど運動能力が劣っている」と心配します。
学校園でのコメや野菜などの栽培実習は4年たったいまも中止されています。
「プランターや腐葉土を園芸店で買ってきて実習しています。自然の中で思いっきり遊ぶことが制限されたままです」
夏休みに、いわき市の小学生を2、3日から1週間招待してキャンプなどの合宿を行っている保養事業が、東京、埼玉、滋賀の教職員組合の支援で行われています。「今後も継続してほしい。国の事業として実施してほしい」と要請しています。
なしくずし的に原発の再稼働を進めようとしている国。「絶対にダメです。人の心に『今がチャンス』とばかりにズケズケと入り込む。100年先、1000年先の、まだ見ぬ子孫に核のゴミを残してよいのか。粘り強く訴えていく」
書記長になって2年。この1年で42人の新しい組合員を迎えました。「『再び戦場に子どもたちを送らない』という原点が大切だという思いを強くしています。集団的自衛権行使容認の『戦争立法』をやすやす通さない。憲法9条というバトンはある。ランナーを育てバトンを渡す。それまで走り続けます」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年4月6日より転載)