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“福島に生きる”飯舘村民 憩いの場に・・老舗手打ちうどん店「ゑびす庵」高橋ちよ子(66)・義治さん(68)夫妻

fukusi-ikiru 高橋ちよ子さん(66)、義治さん(68)夫妻は、親の代から続く老舗の手打ちうどん店「ゑびす庵」を福島県飯舘村で営んできました。

 4年前の東京電力福島第1原発事故で福島市荒井に避難してきました。「商売をやめようと思った」ものの「あの肉うどんがもう一度食べたい」という村の避難者の声に押されて移転先の福島市で「ゑびす庵」を再開させました。

 2011年7月に再開した店は、吾妻連峰の山麓に位置し、吾妻小富士や一切経山などが窓から見渡せる絶景のロケーションです。

 近くには、聖アンナ教会を中心に地ビールレストラン、ヨーロッパ家具やおしゃれな雑貨などを扱うお店がそろっているアンナガーデンがあり、食事やショッピングにとゆっくりした時間を過ごすことができます。

 「いこいの場所を求めていた」飯舘村の人たちは、店舗の再開を知ると「ゑびす庵に行けば村の誰かに会える」と店を避難先の居場所にするようになりました。「顔を見るだけで安心する。ほっとするんですね」

■客層が広がって

 機械を一切使わずうどんをすべて手打ちで打つのが義治さん。「うどんのコシがちがいます」。企業秘密の秘伝の汁をつくるのがちよ子さんです。

 客数は飯舘村当時よりも2倍以上に。3分の2が福島市内、3分の1が飯舘村の人と客層を広げました。

 4年前。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測)によって放射能の拡散が福島第1原発から北西に流れる予測がされていました。飯舘村には情報が隠されました。村で測定される放射線量は高く、村は2011年3月18日に希望する村民を栃木県鹿沼市に一時避難させることを決断。遅れに遅れて「計画的避難区域」に指定されたのが、4月11日。「これはただごとではない」と夫妻も避難しました。

 高橋さん夫妻が飯舘村に残してきた店舗は「新しく建てて5年目」でした。郵便局で働いてきた義治さんは「退職金をすべて使って建てました」と悔しい思いを隠しません。

 「労働組合活動に参加していましたし、福島県に原発建設が始まった当初から反対してきました。こんな事態にならないようにとデモもしたし、反対を訴えたのです」

 「ゑびす庵」は、義治さんも仕事の合間に手伝いました。ちよ子さんは「飯舘ではフキ、ワラビ、ヨモギなど天ぷらにして地産地消で出していました。ここでは食材は買っています」と言います。

 うどんのほか、丼物、定食とメニューは飯舘村時代と同じです。

■4年間翻弄され

 ちよ子さんは「3・11からの4年間を「川の流れに翻弄(ほんろう)される落ち葉のようです。あっちゃ(あちらへ)行ったり、こっちゃ(こちらへ)行ったり、大海原にたどり着けない。自分の意思ではなく動かされている」といいます。

 原発再稼働を強行する安倍首相。夫妻は言います。「東京電力に村をぶんだされ(追い出され)だ。村に帰って営業ができるまで全面賠償に責任をはたすべきです」

(「しんぶん赤旗」2015年3月23日より転載)

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