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「帰村」2年 福島県川内村(下)・・暮らし再建 言半ば

体が弱らないための川内村の催しで風船バレーをするお年寄り=3月6日、福島県川内村
体が弱らないための川内村の催しで風船バレーをするお年寄り=3月6日、福島県川内村

「仮設にいられるのはあと1年。その後、村に帰るか帰らないか。結論が出せません」

郡山市の仮設住宅に夫(61)と夫の母(86)と避難している猪狩俊江さん(57)はいいます。

夫は脳こうそくで郡山市の病院でリハビリを受けています。震災前は車で片道20分の距離の双葉町の病院に通っていました。川内村に戻ると、郡山市の病院に行くには車で片道1時間半かかります。

義母は村の生まれで野菜作りの現役です。「口には出さないけど村に帰りたいでしょうね」と猪狩さん。

村には病院はありませんが診療所があります。診察科目は内科と歯科だけでしたが、原発事故後、村が県内自治体に医師の派遣を呼び掛け、整形外科を月2回、眼科を月1回、心療内科を4週間に1回開くことができるようになりました。秋元賢・川内村保健福祉課長は「どこも医師不足のなか、これ以上増やすのは村の力では難しい」といいます。

原発事故後、村が4企業を誘致し、約40人の村民が雇用されています。しかし「正社員募集といっていたのにパートしかない」「時給700円で仕事がきつい」という声も村民から出ています。

川内村では医療もそうですが、買い物も浜通りの富岡町、大熊町に依存してきました。村にある店舗は2012年11月に開業したコンビニだけです。

村内33カ所にある原子力規制庁のモニタリングポストで、放射線の空間線量率が一般公衆の被ばく限度とされる毎時0・23マイクロシーベルトを超える場所は1カ所あるかないかです。しかし、村の面積の約9割を占める森林が除染されていないこと、そして何より、福島第1原発が安定化しないことに村民の多くが不安を抱えています。

帰村開始から2年、暮らし再建は道半ばです。
(おわり)

 

補償切れた住民に生活支援必要・・川内村長・遠藤雄幸さん

村が原発から20キロで分断され、賠償に大きな格差がつくられ、住民の心まで分断してきました。20キロ圏外の住民は補償が切れているので、新たな生活支援策が必要です。

必要な補償、賠償はしっかり請求しつつ、生活の確立をどう図るか。村に四つの会社を誘致しました。賃金、待遇の問題もありますが、職種を広げることが大切かと思います。

昨年、米の作付けを再開しました。農家にとって米をつくるというのは生きがい、誇りなんです。それがお金に変わって生活できれば一番いいのですが。

普通の生活を取り戻すのが、何でこんなに難しいのか。目に見えない放射能、原発事故の影響は計り知れないものがあります。

福島にある原発の再稼働はありえないでしょう。原発事故の前と後で何も変わらなかったら、今回の事故はどんな教訓を残したかということが問われます。

20キロ圏内の避難指示解除準備区域をどうするかが、今年の最大のテーマです。住民の生きがい、誇り、連帯を取り戻す復興を一歩一歩進めていきたい。

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