円谷寅三郎(つむらや・とらさぶろう)さん(76)の住む福島県岩瀬郡鏡石町は、唱歌「牧場の朝」の″ふるさと″です。
1880年に西洋式牧場として開設された町内にある岩瀬牧場がモデルになっています。1907年にオランダの酪農家からホルスタインの種牛13頭を輸入。記念に「鐘」が贈られました。10万坪の敷地には、桜やプラタナスの大木がそびえています。
■野菜の生産被害
円谷さんが「生業を返せ、地域を返せ!福島原発訴訟」の原告に加わったわけは、歌詞にあるような「牧歌的で自然豊かな大地を放射能で汚されたことへの怒り」でした。須賀川民主商工会の仲間が原発事放による野菜への打撃を苦にして自殺したことも。「裁判に勝って無念を晴らしたい」と考えています。
岩瀬郡は夏の高温気候と北西からの冷たい風の影響が比較的少ない秋の気候によってキュウリの生育に適し、一大産地です。円谷さんの兄も米やキュウリなどの野菜を生産しており被害を受けました。
「特産のキュウリもリンゴもモモも売れない。乳牛もだめだ」。東京電力福島第1原発事故から3年9ヵ月がすぎても回復しない風評被害による低価格に悩む町の人たち。「衝撃を乗り越えて国と東電に勝ちたい」と思っています。
■増税で仕事減る
「1964年の東京オリンピックのマラソンで銅メダリストになった円谷(つぶらや)幸吉は県立須賀川高校の後輩、私の妻と同級生です」と、いいます。円谷の姓は、福島県中通りの須賀川市などに多い名字です。
円谷さんは、県立須賀川高校を卒業すると横浜市の工場で働きました。会社は同族会社。恣意(しい)的な人事や賃金差別、休みが取れないことなどから労働組合結成に参加。執行委員や書記長を務めました。その後、親の要請もあってふるさとの鏡石町に戻り、アルミサッシやガラスの設備会社を設立しました。
73年に「国民のくらしと平和を守るために微力でも役立つ人生を送ろう」と日本共産党に入党しました。49歳のときに鏡石町議に初当選。7期務めました。
「3・11」当日は「議会中でした」。避難所になった公民館や老人福祉センター、学校などに行き救援活動を開始。「断水したために私のところに井戸水があったので避難所に給水して支援に当たりました。1年間は無我夢中でした」といいます。アルミサッシやガラス窓の修理の仕事が殺到したからです。その後は、消費税増税もあって仕事は減っています。
須賀川民商のアンケート調査によると、増税後に売り上げが減ったのは59・7%、消費税増税分を値上げで転嫁するのはできないのが70%、生活や商売を切り詰めているが51%になっています。
「私たち福島に生きるものにとって消費税10%増税はキッパリとストップさせる。原発の再稼働などやめてほしい。再生可能な自然エネルギーに変える。輸出もやめることだ」と主張します。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2015年1月5日より転載)