日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > “福島に生きる”安心して泳げる海戻せ・・全日本港湾労働組合 小名浜支部書記長・草野一浩さん(45)

“福島に生きる”安心して泳げる海戻せ・・全日本港湾労働組合 小名浜支部書記長・草野一浩さん(45)

小名浜港に立つ草野さん
小名浜港に立つ草野さん

 「常に放射能のことを意識して暮らした3年8ヵ月でした」と言うのは、全日本港湾労働組合小名浜支部書記長の草野一浩(かずひろ)さん(45)です。

 福島県いわき市の小名浜で船舶貨物の搬入・積出をしています。

 小名浜港は、江戸時代、浜通り南部を治めた磐城平(いわきたいら)藩の年貢米積み出し港でした。常磐炭鉱発見後には、明治、大正、昭和初期にかけて整備され、国内外の海上輸送網の拠点となる港湾として重要港湾指定を受けました。

 小名浜港で生まれた草野さんにとって、「子どものころは遊び場だった」といいます。北洋船やサンマ漁の漁船の立ち寄り港でした。

■海水浴もできず

 「震災前と震災後ではいわきの人の生活は変わった」といいます。「夏は海水浴、秋は山菜採りと自然の中で暮らしてきました。それができなくなりました。高校1年になる長男が今年の夏に『泳いでいいか』と聞いたので『まだだめだ』と止めました。心配なのです」と、放射能汚染の影響を気にしています。

 草野さんの子どもたちは、この3年間、目の前に広がる海で泳げないでいるのです。

 昨年の夏。長女のアメリカの友人がホームステイで来る予定でした。ところが間際になってキャンセルになりました。「汚染水のことがアメリカでも報道されたのでしょうね」と残念がります。

 「3・11」直後は、栃木県那須高原や山形県に避難しました。しかし、「救援物資が小名浜港に入ると連絡が入って戻りました。組合員を集めました。連絡して分かったのですが組合員の6割は避難していました」。

■原告団に加わり

 今、小名浜港は、福島県楢葉町沖に設置される浮体式洋上風力発電機の最終的な組み立てなどの作業基地として利用されています。また、東京電力火力発電所用の石炭搬入で多忙です。原発事故後、石炭の需要が増えています。

 国と東電に原状回復と損害賠償を求めた、いわき市民訴訟の原告団結成の呼びかけに、「原発事故を自然災害だからというわけにはいかない。私たちはここに生活の拠点があります」と考えて原告に加わりました。

 「港湾の仕事柄、東電の仕事もしており、『なぜ東電を訴えるのか』悩みました。いろいろ考えた末に、放射能をなくさなければ元の暮らしには戻れないということで踏み切りました」

 300人の組合員のなかで呼びかけに応えて原告に加わったのは約100人。「同じ思いでいる仲間がたくさんいた」と感じています。

 最近の国のエネルギー政策に危惧を感じています。

 「安全性について保障されていないことは今回の福島第1原発事故で分かったのに、川内(せんだい)原発を再稼働させるなど何も学んでいない。福島と同じことが起きたならばどう責任をとるのですか。私たちの訴訟の意義はますます大きいです」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2014年12月1日より転載)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です