福島県いわき市の菅原隆(たかし)さん(74)は、「いくつもの顔を持つんです」と、笑いました。
■障害者の自立応援
名刺には社会福祉法人「希望の杜(もり)福祉会」常務理事、「いわき平中央ロータリークラブ」会長など数々の肩書が並びます。高校の生物の教師を務めるかたわら障害者の自立と社会参加を応援する活動に携わり、退職後はライフワークにしてきました。
国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めたいわき市民訴訟原告団の結成に当たって「私がやります」と、事務局長をかってでました。「培った知識や能力がここで役立つならばうれしい」と気合が入っています。
「自分の生き方として、人に役立ち、社会の変革をすすめる活動に参加したいと考えて生きてきました。いわき市民訴訟はその集大成です。必ず花を咲かせます」
原発事故で、「日常生活は一変し、塗炭の苦しみの生活を強いられることになりました」と、3年8ヵ月を振り返ります。
いわき市で13施設、6事業、当時、警戒区域となった楢葉町で4施設、6事業を運営。95人の障害者の支援をしてきました。
楢葉町の障害者のうち、避難生活中に5人も命を失いました。これまで受けていた医療・服薬が受けられず、敗血症になり亡くなりました。一時帰宅の際に「家に戻ることができないと分かり、入水自殺をした事件」など、悲しい出来事が重なりました。
家族と一緒に避難できなかった楢葉町の身寄りのない12人の障害者と、いわき市内の13人の障害者の計25人との施設での苦闘の日々が続きました。
高い放射線量の不安の中で断水し、トイレの水の確保のために川から水くみをしました。飲料水の確保のために毎日給水場に並ぶこと、不測の事態に備えて障害者を避難させるためのバスのガソリンの確保、薬と医療の確保と苦痛・心労が続きました。
双葉町、浪江町など避難生活が続いている地域から移住して暮らす人が増えていることなどから「いわきは大丈夫」というイメージができてきて「基本的には風化しつつある」と憂慮します。「真実を見てほしい」と、被災地ガイドも行っています。
■東電株所持は論外
「ユズの採取や家庭菜園は今もできない。私の家の庭の放射線量は毎時1・4マイクロシーベルあります。除染してもらうことにしています。いわき市全体の原状回復をさせるためには、私たちが提起した市民訴訟で勝訴して被災者補償政策の確立を実現させる必要があります」と力説します。
「福島原発事故被害補償法」の制定を目指しています。求める政策内容は、①子どもの健康を維持するための施策②子どもが発病した場合には、安心して治療が受けられるようにする・・などです。
「安倍首相はちゃんと福島を見れば、再稼働などという話にはならないはずです。金もうけのことばかりに夢中になっている。所管の大臣が東電の株を持っているなど論外。そういう人が日本の政治を動かすことを直ちに辞めさせる必要がある」
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年11月22日より転載)