福島県相馬市の菊地由美子さん(40)は、国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めた生業(なりわい)訴訟に加わった唯一の精神障害者の原告です。
■勉強して訴訟に
「しんぶん赤旗」の記事に生業訴訟のことや説明会の案内が載っていました。自ら勉強して原発即時ゼロ、再稼働反対の生業訴訟に参加しました。相馬新地・原発事故の全面賠償をさせる会にも加入しています。
菊地さんは、「一般社団法人ひまわりの家」のグループホームで暮らしています。ひまわりの家は、精神、知的、身体の障害のある人々が、地域の中で普通に暮らせる福祉社会の実現と、すべての人々がともに生きる社会づくりをめざしています。
「どこに逃げればいいの。逃げる場所がなければ逃げられない」。菊地さんは、いったん原発事故が起きたならば避難先が確保できないと、行政からも置き去りにされかねないことに不安を感じていました。
東電福島第1原発から約30キロから50キロ近く離れている相馬市は、避難指示は出ませんでした。ひまわりの家は、避難する事態とはなりませんでした。浪江町、双葉町など避難区域内にあった施設に通っていた障害者がひまわりの家に避難してきました。
菊地さんは、福島原発事故でのこうした体験から、安倍首相が原発の再稼働や海外輸出を推進しようとしていることには「絶対反対。全国の原発をなくしてほしい」と考えています。
東日本大震災と福島第1原発事故が起きてからの3年7カ月は「つらい気持ちの日々だった」
■明るく生きたい
自宅は相馬市の海岸に近い場所でした。相馬市を襲った津波の高さは9・3メートル。自宅にいた両親と姉、祖母をのみこみました。菊地さんは、ひまわりの家にいて無事でした。
建設会社で働いていた父親は「仕事熱心で厳しかった」といいます。
「お姉ちゃんが最初に見つかった。しばらくしてからお母ちゃん、お父ちゃん、おばあちゃんも見つかりました。同級生もたくさん亡くなった」。相馬市の大震災での死亡者は480人を超えています。
ひまわりの家で暮らして8年になる菊地さんは「明るく生きていきたい」「友だちが一番大事です」といいます。「人間関係で合う人と合わない人がいます。うまく回っていくためにも仲良くしたいです」
作業所ではメール便の配達業務や施設の掃除などの仕事をしています。
相馬沖でとれるカツオが大好物という菊地さん。試験操業が始まったものの、相馬沖でとれた魚介類を食べることができません。
「浜通りを元に戻してほしいです。常磐線が走れないところが残っています。電車が走れるようにしてください。おいしい魚が食べられるようにきれいな海に戻してほしい」(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年10月27日より転載)