福島県いわき市の阿部節子さん(58)の長男(27)は、2009年に脱サラし、いわき市に戻り農業を始めました。長男は、新規就農支援事業を活用して仲間5人と有機栽培に挑戦しました。アスパラ、ソラマメ、パプリカ、スナップエンドウなど、10棟のハウスを借りて栽培しました。
■厳しい基準で栽培
販路も無農薬の農産物販売をしている「らでぃっしゅぼうや」と契約。①減農薬②土壌消毒はしない③除草剤は使わない④有機堆肥を使う⑤自家食用と同じものを出荷する - という厳しい基準で栽培した野菜を作っていました。
東京電力福島第1原発事故は、そんな矢先に起きました。5人のリーダーになっていた女性が「福島という名では買ってもらえない」と、いわき市を去りました。幼稚園児と生まれたばかりの子を持つ夫婦が続いて辞めていきました。長男も今年6月までは頑張っていましたが、農業をあきらめました。
阿部さんは言います。「一生懸命にやっていたのに、原発事故は若い人たちの夢を奪った。私たちおとなの子どもたちに対する責任を果たすためにも、国と東電に責任を取らせたい」。いわき市民訴訟の原告に加わったのです。
大震災が起き、新婦人いわき支部の事務局長を務める阿部さんは、1人暮らしの高齢者などの安否確認に忙殺されました。事務所は全壊。会員の8割は県外に避難しました。
少しずつ、いわき市に戻ってきてはいますが「3年7カ月がたっても1割の人は戻っていません」。二百数十人いた会員も200人を切る事態に。
大変な葛藤の中で避難を実行した人、避難したくてもできなかった人-。いわき市に残った人たちは「心の重み」を感じて暮らしています。「3年7カ月前の出来事をみんなが鮮明に覚えています。『あの時、私はこうだった』と語り、原発事故の放射線被ばくを心配しています。事故は収束などしていません」
それにもかかわらず福島のことが忘れられていると、阿部さんは言います。「安倍首相は〝再稼働はする、海外には輸出する″と福島の事故がなかったがごとく振る舞っています」
■新しい流れ感じて
そんな中で川俣町から避難を強いられて自殺した女性の遺族が損害賠償を求めた裁判で、自殺と原発事故との因果関係を認めた判決が出ました。「私たちを励ましてくれた」と新しい流れを感じています。
「放射能汚染というとんでもないものを背負わされ、それと立ち向かって行動した3年7カ月でした。再稼働は絶対に許せません。このいわきの地を愛しているからこそ、原発即時ゼロ、県内10基の廃炉、医療費保障などを実現させていきたい。若者の夢がかなえられる、いわきにしたい」と決意しています。(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年10月13日より転載)