─今回のように複数の原子炉が同時に故障するのを考えなかったのか。
「3月11日までは私も考えていなかった」
─なぜか。
「一つは、(新潟県の伯崎刈羽原発は中越沖地震で)同時にいった(トラブルを起こした)んです。同時にいったんですけれども、(中略)えらい被害だったんですけれども、無事に安全に止まってくれたわけですよ」
※2007年、中越沖地震で東京電力柏崎刈羽原発の全7基でトラブルが発生、3号機の変圧器が火災するなど、故障・損傷が3700件を超えました。
「あれだけの地震が来ても、ちゃんと止まったではないの、なおかつ、後で点検したら設計の地震を大きく超えていたんですけれども、それでも安全機器はほとんど無傷でいたわけです。(中略)今回のように冷却源が全部なくなるだとか、そういうことには地震でもならなかった。(中略)やはり日本の設計は正しかったと、逆にそういう発想になってしまったところがありますね」
─電源喪失した場合、隣の号機から電源融通が受けられる前提だったようだが、融通元もだめになる場合を想定していたか。
「だから確率の問題だと思うんです。極論しますと、これは経験の範囲の議論になってしまうんです。(中略)全世界で原子力発電所は400とか500とかありますね。(中略)そこでいろんなトラブルを経験しているわけですけれども、(中略)今回のような、電源が全部、あて先も涸(か)れてしまうということが起こっていないわけです。そこが我々(われわれ)の一つの思い込みだったのかもわからないですけれども、逆に自信を持っていたというか」
─今は、電源がもらえない可能性を考えておかなければいけなかったと思うか。
「思いますね」
※「安全神話」の根深さを示すものです。
(つづく)
(「しんぶん赤旗」2014年10月01日より転載)