※3号機が水素爆発した日の夜。2号機の原子炉の圧力が上昇し、燃料棒が全部露出していると考えられていました。
─退避などの検討もしなければという話が出ていたか。
「廊下にも協力企業だとかがいて、完全に燃料露出しているにもかかわらず、減圧もできない、水も入らないという状態が来ましたので、私は本当にここだけは一番思い出したくないところです。ここで何回目かに死んだと、ここで本当に死んだと思ったんです」
「2号機はこのまま水が入らないでメルト(溶融)して、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出てしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。チェルノブイリ級ではなくて、チャイナシンドロームではないけれども、ああいう状況になってしまう。そうする
と、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」
「そうなると、結局、ここから退避しないといけない。たくさん被害者が出てしまう。(中
略)免震重要棟のあそこ(対策室の本部席)で言っていますと、みんなに恐怖感与えますから、電話で武藤(副社長)に言ったのかな。一つは、こんな状態で、非常に危ないと。操作する人間だとか、復旧の人間は必要ミニマム(最小限)で置いておくけれども、それらについては退避を考えた方がいいんではないかという話はした記憶があります」
「(細野豪志首相補佐官に)
現場の人間はミニマムにして退避ということを言ったと思います。それは電話で言いました。
ここ(本部席で言うと、たくさん間いている人間がいますから、恐怖を呼びますから、わきに出て、電話でそんなことをやった記憶があります)
※溶けた燃料が格納容器の壁を貫通し、放射能が外に漏れ出す、いわゆる「チャイナシンドローム」の言葉で、最悪の事態を考えていました。
(つづく)
(手前から)2号機、3号機、4号機=
2011年3月15日(東京電力提供)
(「しんぶん赤旗」2014年9月23日より転載)