未曽有の被害をもたらした東日本大震災は9月11日、発生から3年半を迎えました。岩手、宮城、福島3県の被災者は、どんな思いで、この日を迎えたのか-。
一歩でも前へ・・岩手・陸前高田市の漁師 戸羽忠夫さか(68)
岩手県陸前高田市広田町の漁師・戸羽忠夫さん(68)は津波で自宅が全壊、仮設住宅に妻と娘夫婦と孫3人の7人で暮らします。
震災前はワカメやコンブの養殖漁業を中心に行っていましたが、船や作業場も流失。広島県の福山民主商工会の支援で小型船を無償提供され、漁業を再開しました。
昨年(2013年)2月に国の支援制度を利用して3・6トンの新造船を購入。現在は人手のいる養殖ではなく、1人でもできる刺し網漁などを行います。
「周りも漁業者もだいぶ再開してきましたが、加工場や魚を買い取ってくれるところがないと困る。でももう後戻りはできない。今日より明日、明日よりあさってと思い、一歩でも前へ進めるよう頑張りたい」
復興住宅早く・・仙台市で仮設暮らし 渡辺勝江さん(76)
仙台市若林区の仮設住宅に住む渡辺勝江さん(76)がいま政府に一番に望むことは、復興公営住宅の一日も早い完成です。
「仮設に入った当初は本当にありがたかったけど、3年半も住むとは思いませんでした。窮屈な室内は腰に負担が大きいし、湿気がこもるので皮膚を悪くしました。なるべく元気なうちに引っ越したい。今のままだと復興住宅に移れるのは再来年になるかもしれないと聞き、まわりの人も不安に思っています」と話します。
渡辺さんの暮らしの悩みに相談にのったのが日本共産党の福島かずえ県議候補でした。行政への要請を重ね、仮設住宅備品の無償譲渡も実現しました。
渡辺さんは「以前は正直いって共産党さんのことは頭に入っていなかったけど、震災以後、一番親身になって動いてくれたのは共産党さんだった」と話します。
再稼働なんて・・浪江町出身・福島市で仮設暮らし 須藤カノさん(64)
福島市内の佐原仮設住宅で避難生活を送る浪江町出身の須藤カノさん(64)は「追い詰められれば死ぬほかない」と言って、涙をぬぐいました。3年半がたっても先行きが見えないからです。
「はじめの1年間は長かった」と振り返ります。仮設で暮らし始めてなじめずに一歩も部屋から出られなかった引きこもりの状態でした。避難者仲間が散歩などに「引っ張り出してくれた」と言います。
「おらみたいに苦しんだ思いをするようならば原発事故は二度と起こしてほしくない」と、安倍政権の原発再稼働の策動に怒ります。
「こまこく(節約して)使う」と、消費税増税に自衛する生活。「10%など論外」と、国民いじめに憤っていました。
(「しんぶん赤旗」2014年9月12日より転載)