『智恵子抄』にある安達太良(あだたら)山の「ほんとうの青い空」が放射能で汚されました。福島原発事故は、福島の登山愛好者のホームゲレンデとする山を奪ったのです。
■放射線量を測定
夏山シーズンが本格化したものの風評被害で登山容は減少したままです。
怒りを覚えた福島県の山仲間が自然環境の回復の指標と安全な登山に役立てるために県下150の山を踏破して放射線量の測定を行い、ホームページ(閲覧できます)に掲載しました。冊子『放脚線と登山道』もつくりました。
これには福島県勤労者山岳連盟の理事長を務める村松孝一さん(63)ら山をこよなく愛する、のべ450人が参加しました。
東京電力福島第1原発が「爆発した後、日本勤労者山岳連盟からどんな支援が必要かと問われ、『放射線量を測定する線量計を支援してほしい』とお願いしたことからです」と経過を話す村松さん。「福島の山の魅力はハイカーからクライマーまで網羅できる山がそろっていることだ」といいます。
冬でも雪がなくハイキングができる浜通りの阿武隈(あぶくま)山系、安達太良山など全国に知られる中通りの山、磐梯山など奥深い山がある会津地方まで変化に富んだ山歩きが楽しめるのです。
原発事故により阿武隈山系の山々への入山が不可能になりました。「原発周辺の山は、ハイカーたちにも年間を通して登れる山でした。それができなくなってしまった。私たちのフィールドを汚されてしまった」
旧国鉄(JR)の労働者だった村松さんが山登りを始めたのは、会津から仙台の車掌区に転勤になった35歳ごろのこと。職場の仲間から岩手県の早池峰(はやちね)への登山を誘われました。
「山の雄大さとその爽快さに魅せられた」と、山登りのとりこになりました。「月1〜2回のペースで登りました」
41年間働いたJRを退職後は、「妻のやっている福祉事業を支えようと、介護タクシーの運転手やヘルパーの資格を取りました」。
■原発事故で一変
第二の人生として選んだ福祉の仕事は「生きがいだったし、趣味の登山も楽しめた」のですが、一変させたのが原発事故でした。
「国と東南とのたたかいに明け暮れる3年4ヵ月になった」といいます。「生業を返せ、地域を返せ! 福島原発訴訟」原告団相双支部の支部長として活動しています。
「本当は漫画家になりたかった」という村松さん。原告たちの証言集『わが子へ、そして未来の日本の子どもたちへ〜今、伝えておきたいこと』の表紙の絵を描きました。
「訴訟は重要な局面を迎えています。何としても原告を増やして、訴訟に勝ちたい。裁判長には、ぜひとも現地調査をしてもらいたい。実態をその目で見てもらいたい。そのためにも傍聴者と模擬裁判、報告集会などへの参加者を組織します」と語っています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年7月18日より転載)