福島県郡山市の介護施設で介護支援専門員のケアマネジャーをしている阿部純さん(42)は「歌うケアマネ」と呼ばれています。
■全国に出かけて
仕事の傍ら暮らしや仕事、原発事故などをテーマにした歌を作詞・作曲し、歌います。「話せば1時間はかかる福島の現実と実態が3曲の歌で表現できます」と、仕事を続けながら全国に出かけて歌声を響かせています。
両親は、ピアノやアコーデオンなどの生演奏に合わせてフォークソングなどを歌った「うたごえ運動」の中で結婚しました。両親の影響もあって阿部さんも小学、中学、高校、短大と合唱部に所属して歌い続けてきました。
「3・11」から3年4ヵ月余が過ぎて「あの日以前の生活に戻れない悪夢が福島では今も続いています」と振り返る阿部さん。「そんな福島で私たちは生きていると伝えたい」と、熱い思いで各地に出向いてコンサートを開いています。
大震災の日、長女の中学校の卒業式でした。施設に戻ると職場は大混乱していました。
東京電力福島第1原発が爆発したことから浪江町や双葉町などの沿岸部から被災者が郡山市などに避難してきました。勤務先の介護施設も定員をはるかに超える避難入所者であふれました。自らも被災、被ばくしながら、職員たちは働き続けました。日常生活をつづって阿部さんが作詞した「フクシマ人だから言えること」という歌があります。
♪避難する人 残る人 街から笑顔が減ったみたい 現実はあまりにも残酷で どっちも辛(つら)い 辛いんです
■エール送った歌
当時、中学を卒業する長女、小学校を卒業する次女、小学5年生に進級する三女がいた阿部さん。「子どもたちのクラスでは避難する子どもたちとのお別れ会が毎月開かれました」
阿部さんは「避難はいやだ。ここで高校生になろうね」と友達と誓った長女の思いを尊重して福島に残りました。
「いとしい娘(あなた)たちへ」は、そんなわが娘とすべての子どもたちにエールを送った歌です。
♪希望だらけのはずだった 私たちの新しい春は 大きく変わった 日本中が 悲しみ 迷っているけど 娘(あなた)たちは 選べるはず 娘(あなた)たちは 生きられるはず
2011年7月、東京・明治公園で開かれた原発ゼロをめざす緊急集会に出演。昨年は青森、京都、愛媛など全国各地を回りました。
「人間らしく生きることと、原発は相いれない」と考える阿部さん。長女が母と同じ介護職の仕事に就きました。
「原発事故前の福島の暮らしに返してほしい」。働き続けながら、歌い続けながら福島の今を発信し続けています。
(菅野尚夫)
(「しんぶん赤旗」2014年7月14日より転載)