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司法も事故と向き合って・・大飯差し止め判決を考える/舘野淳元中央大学 教授に聞く(下)

 

事故直後の福島第1原発。手前から2号機、水素爆発で建屋が崩壊した3号機、4号機(2011年3月21日、東京電力提供)
事故直後の福島第1原発。手前から2号機、水素爆発で建屋が崩壊した3号機、4号機(2011年3月21日、東京電力提供)

 私は約30年前、東京電力福島第2原発の設置許可取り消しを求めた訴訟などに証人として出廷しています。

 私たちが、原発の危険性について指摘をしても、裁判所は、原子炉等規制法に従って科学的に審査され設置を許可したものであって、“法的に瑕疵(かし)がない”と。あるいは科学者の間で批判はあるかもしれないが、原発の潜在的な危険性を指摘した証人の証言をあえて採用すべき理由がないなどと、原告の訴えを退けてきました。

気骨を感じる

 今回の判決は、人格権を原子炉等規制法の議論の上位に位置づけて、判断しました。

 「生存を基礎とする人格権が公法、私法を問わず、すべての法分野において、最高の価値を持つ」という考えに基づいて、「人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、その侵害の理由、根拠、侵害者の過失の有無や差止めによって受ける不利益の大きさを問うことなく、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる」としている点です。

 さらに、この考え方は「人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない」といい切っています。つまり原子炉等規制法とは別に、この判決を下すのだと。

 これによって電力会社が、いくら原子炉等規制法に背いていないとか、一部の科学者が原発は安全だと言っていても、断固として拒否できることになる。そういう意味で法律家としての気骨が感じられる判決です。

 かねがね裁判官が科学に対して正しい判決を下せるのかという問題意識を持っていましたが、この判決は司法が科学を裁けることを宣言していると思います。

30年前の議論

 これだけはっきり運転差し止めを言い切れるのは、東電福島第1原発事故が起き、事実として「人格権の具体的な侵害のおそれ」があるからです。

 ところが30年前の福島第2原発訴訟の判決では、例えば、緊急時に原子炉を冷やすECCS(緊急炉心冷却装置)の不動作が想定されていないという原告の指摘に対し「そのような考え方を押し進めると、格納容器の破壊、爆発等を想定した事故解析にまで進まないとも限らず、そのような想定のもとでは事実上どのような原子炉の設置でも不可能に近いものとなり、そのような想定の

積重ねにより、かえって、原子炉施設の安全性が弱まる虞(おそ)れがあるとの指摘もなされており」などという論が展開されていたのです。

 ECCSが機能しなくなった福島第1原発事故を経験した今となっては、これは成り立たない議論です。

 今後、司法も福島事故の事実を正面から捉えた判決を望みます。

(おわり)(松沼環)

(「しんぶん赤旗」2014年7月1日より転載)

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