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“国民平和大行進2014”原発も核兵器もいらない・・被害者の憤り胸に歩む

(写真=上)「核兵器も、原発もいらない」と訴える参加者。先頭右は田中さん、その隣は阿部さん=6月22日、福島県伊達市 (写真=下)仮設住宅に避難する住民との懇談では、原発事故を起こした国と東電への怒りが寄せられました=6月22日、福島県桑折町
(写真=上)「核兵器も、原発もいらない」と訴える参加者。先頭右は田中さん、その隣は阿部さん=6月22日、福島県伊達市
(写真=下)仮設住宅に避難する住民との懇談では、原発事故を起こした国と東電への怒りが寄せられました=6月22日、福島県桑折町

 原水爆禁止国民平和大行進(北海道─東京コース)は、福島第1原発事故の責任を果たさない国と東電に怒りが湧き起こる福島県内をすすんでいます。「福島から核兵器も原発もいらないと声をあげよう」という参加者の訴えに、市民の共感が広がっています。

(秋山豊)

 

 6月22日午前11時、原水爆禁止日本協議会の前川史郎さん(34)らが桑折町(こおりまち)の桑折町駅前仮設住宅を訪ねました。避難住民と懇談した集会場には、浪江町の馬場有町長らが賛同する福島県版「核兵器全面禁止のアピール」署名用紙が張ってありました。広島に原爆が落とされた1945年8月6日の午前8時15分で止まった時計の写真も。

 川合陽一自治会長は仮設住宅で集めた85人の署名を前川さんらに手渡し、「アメリカなどに向かって核兵器はいらないと日本政府に言わせる運動を広げてほしい。原発事故の被害者に、温かい心を持った政治を進めてほしい」と訴えます。

 住民から、東電と国に対する怒りが次つぎと寄せられます。

元の生活に戻して

 「私たちは被災者じゃない。原発事故の被害者だ。元の暮らしに戻してほしい」「石原大臣(環境相)は『金目でしょ』とひどい発言をしたが、4畳半に3人、4人と入れられる生活がわかるか」

 浪江町を追われた女性(48)は「この暮らしがいつまで続くのか」と涙声で語りました。平日は建設会社を経営する南相馬市で暮らし、休日はがんを患う父親、母親、祖母が避難する仮設住宅に戻る二重生活。ストレスで動脈硬化を患いました。

 神奈川県原水協の笠木隆事務局長は「被害者の強い憤りが伝わりました。核兵器も原発も根底にある問題は一緒。福島県民の気持ちに寄りそった運動が大切です」と話します。

 午後1時、前川さんらは伊達市の伊達駅前で平和行進に合流しました。

 岩手、宮城、福島の3県を通し行進する田中詔子さん(68)が市民に手を振ります。手を振り返した深井寿子さん(73)は「素晴らしい運動です。放射能による健康被害を心配する人は多い。原発も核兵器もいらない」。

 田中さんには、特別の思いがあります。

 「両親は、国策で中国に渡りましたが、戦争が終わると国に捨てられました。生まれたばかりの私を連れ、自力で日本に引き揚げたのです。原発も国策でつくられました。事故が起きると住民を見捨てる今の国の姿勢が重なるのです」

市民と町の共同で

 田中さんは、平和行進が宮城県松島町を訪ねた18日、大橋健男町長はじめ職員約60人に出迎えられたと話します。この日、同町議会は日本政府に対し、2015年に開かれる核不拡散条約(NPT)再検討会議にむけ、核兵器全面禁止のために積極的に行動するよう求める意見書を可決しました。

 「市民と自治体が手をたずさえれば、核兵器廃絶の大きな力になると実感しました」と田中さん。

 平和行進初参加の阿部裕司さん(45)は、安倍首相が集団的自衛権の行使容認を狙っていることに憤ります。「政府は、唯一の被爆国として核兵器禁止条約の交渉を始める先頭に立つべきです。戦争する国にしようなんてとんでもない」と話しました。

 「福島の復興につながる仕事がしたい」。県内で働く国家公務員の男性(32)は、青森、秋田、山形の各県を国家公務員の仲間がつないだリレー旗を掲げます。「今年の平和行進は、東京─広島コースに海外の青年も参加し、リレーをつないで広島をめざしています。日本人と一緒に声をあげてくれることに励まされます」

 福島県原水協の庄司正樹さん(27)は、8月に広島、長崎の両市で開かれる原水爆禁止世界大会に参加します。「核兵器廃絶を求める声が世界の流れです。核保有国を追い込むため、多くの人と手をたずさえて署名を広げたい」と話しました。

(「しんぶん赤旗」2014年6月25日より転載)

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