東京電力福島第1原発事故のため3年間臨時休業となっていた福島県浪江町立津島小学校が、二本松市で再開されて2カ月たちましたが、児童3人は元気に通っています。
全町避難を余儀なくされている浪江町(住民1万9千人)には浪江、津島両校を含め小学校が6校、中学校が3校あります。2011年8月に役場機能を移した二本松市で、閉校していた二つの小学校校舎を使い、浪江小と浪江中を再開させ、町内全域の子どもを受け入れてきました。
しかし休業していた残り7校も、休業が長引くと再開が難しくなり子どもがもどりにくくなることから、希望者を募り再開することにし、津島小が再開になりました。
津島、浪江両校は、校長、教頭はそれぞれいますが、クラスは合同。浪江小19人(新入学2人、転入2人)と津島小3人が同じ教室で生活します。
通学車で片道40分
津島小の3人は、2年生、5年生、6年生の兄弟3人。3月まで、避難先の福島市で近くの学校に区域外通学していました。いまは町の通学車で片道40分かけて通います。
6年生の長男(12)は「津島小は楽しい。遊んだり、おしゃべりしたり。勉強もわかりやすい。わからないとき、前の学校では並んで質問してたけど、いまは並ばなくていい。前より先生に怒られることが少なくなった。学校、できてよかったよ」と話します。
「(2年生の)弟が『学校はいやだ』『宿題やりたくない』と言わなくなった。おばあちゃんやお父さんに学校のようすを話すようになった」ともいいます。3人そろって休まず通っています。
「来てよかった」と
津島小に転入し5年生の担任をしている田河康秀教諭は「少人数のアットホームな雰囲気のなかで、子ども同士が学びあい助けあって過ごしている。私も来てよかった」と話します。
今年3年目に入った浪江小の総合学習「ふるさとなみえ科」は、5月、同町請戸(うけど)地区に伝わる「安波祭り」の田植え踊りや獅子舞を保存会会長から学びました。
町教委は今後、転入希望者がいれば、浪江小、浪江中の校舎に並置する形で各小、中学校を順次再開させます。
同町の小学生965人は、県内に549人、県外に416人、中学生は県内に351人、県外に209人、それぞれ避難しています。そのほかに、小学生25人、中学生40人が町外に転出しました。
東日本大震災と福島第1原発事故からの復興と子どもについてシリーズで追います。
子の学び、心のケアどう支援・・東日本大震災意見交換会ひらく
子どもとともに震災復興支援に取り組む東日本大震災子ども支援ネットワークは6日、衆院第1議員会館で、「東日本大震災子ども支援意見交換会」を開きました。
教育関係者、市民ら60人余が参加しました。
「意見交換会」は年3〜4回開き、今回のテーマは「学齢期の子どもたちの学びを支える」。同ネットワーク事務局長の森田明美さん(東洋大学教授)は「被災地の子どもたちは輝く未来にむけて歩みをすすめている状況にはない。今年は『子どもの権利条約』批准20周年。子どもの声をきちんと聞き、子ども参加で復興をすすめよう。学びを支える施策を考えていこう」とよびかけました。
岩手、宮城、福島の被災地からの報告では、「心のケア」や不登校の子どもたちへの支援の必要性が語られました。
福島県会津地域で子どもの社会参画支援活動をしている江川和弥さん(NPO法人寺子屋方丈舎理事長)は、転校や区域外就学、仮設に取り残された孤独を抱える子どもたちについて報告。「公教育と民間教育の連携が一番大事です。学習も含めた子どもへの多様な支援を強めたい」と話していました。
(「しんぶん赤旗」2014年6月7日より転載)