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大飯原発再稼働、差し止め命じる・・「極めて多数の人の生存そのものに関わる」

関西電力大飯原発3,4号差し止め求める裁判入廷する原告団=5月21日、福井地裁前
関西電力大飯原発3,4号差し止め求める裁判入廷する原告団=5月21日、福井地裁前

 関西電力(以下、関電)大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを求めた訴訟の判決が5月21日に福井地裁でありました。樋口英明裁判長は住民側(189人)主張を認め、運転差し止めを命じました。裁判長は、「大飯原発は地震の際の冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥があり、原発の運転で人格権が侵害される危険がある」と厳しく指摘しました。判決の会見で、弁護団事務局長の笠原一浩弁護士は「原子力規制委員会の判断を待たずに判決が言い渡されることは、司法が積極的に役割を果たそうとしている」と評価しました。関電側は裁判に出席せず、同日控訴すると発表しました。

 裁判所は、難しい技術論争をせず、住民の普通の感覚で、「規制基準に合格した原発は本当に安全なのか。大地震で原発はどうなるのか」という事実から出発し、その結果、大飯は動かすべきでないと判断した判決だといえると思います。

 この判決は、「人格権」が奪われる事態として自然災害や戦争と同列に原発事故を上げ、原発の「具体的危険性が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然である」と強調し、憲法遵守の立場から、国や電力会社に対して国民の基本的人権を最大限尊重することを求めています。原発ゼロをめざす上で画期的判決であり、私たちの運動に憲法上の根拠を与え、大きく励ますものだと言えます。

判決要旨を引用し、それぞれの争点についてコメントします。

原発に求められる安全性について・・原発そのものを認めないと言っているにひとしい

 判決は、原発は「経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである」と指摘し、よって「大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性がおこるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い」と強調。さらに「かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である」と主張し、原発そのものを認めないと言っているにひとしいと思います。

そして、裁判所が原発の安全性について判断することは、「原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる」と強調していることは、裁判長の思いが最も強く表れており、まさに「司法は生きていた」といえます。

冷却機能の維持について

 1260ガル(ストレステストのクリフエッジ・限界点)を超える地震が起きた場合、冷却機能は「崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである」と指摘した上で、「地震は地下深くで起こる現象であるから,その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって,仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し,繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に,正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって,大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である」と原告の主張を全面的に認めました。

 そして、「①我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり,1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること,②岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殼内地震であること,③この地震が超きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず,若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること,④この既往最大という概念自体が,有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると,1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある」と強調したことは画期的だと思います。

勝訴判決を受けて、垂れ幕を掲げる寺田弁護士(左)
勝訴判決を受けて、垂れ幕を掲げる寺田弁護士(左)

700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

イベントツリー(発端となる初期の事象からスタートして、これが最終的な事象に発展 していく過程を、枝分かれ式 『ツリー状』に展開して解析すること)における対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが,この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析に力を注ぎ,地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員ヘの聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの,地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない」と指摘し、一般的には事故の調査、原因究明は比較的容易であるが、「原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば,その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く,福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に,原子力発電所における事故の進行中にいかかる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である」と指摘していることは、福島原発事故を教訓にすれば、イベントツリー対応策は画餅にすぎないと思います。

基準地震動の信頼性について

 関電は、「大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した揚合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも,700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし,この理論上の数値計算の正当性,正確性について論じるより,現に,全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震勤を超える地震が平成17年以後10年足らずの間に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については,今後学術的に解決すべきものであって,当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様,過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず,被告(関電)の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見いだせない」と断じていることは、私たちが20年前から指摘してきたことであり、この点でも、住民の普通の感覚であり当然だと思います。

安全余裕について

 安全上、余裕を持って設計されていても「基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが,それは単に上記(様々な構造物の材質のばらつき,溶接や保守管理の良否等)の不確定要素が比軟的安定していたことを意味するにすぎないのであって,安全が確保されていたからではない。したがって,たとえ,過去において,原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても,同事実は,今後,基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない」と結論づけています。

700ガル以下の地震について

 関電は、「基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ,かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる」とした上で、「緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し,補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても,①主蒸気逃がし弁による熱放出,②充てん系によるほう酸の添加,③余熱除去系による冷却のうち,いずれか一つに失敗しただけで,補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められる」と指摘。関電は「主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが,主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり,主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって,そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして,それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない」と断じています。

使用済核燃料の危険性について

 関電は「使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はない」と主張したことに対し裁判所は、「使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば破告のいう冠水状態が保てなくなるのであり,その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に囲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて彼所等による冷却水喪失に至らなかったこと,あるいは瓦礫がながれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる」と指摘し、関電の主張を「失当である」と断じました。

被告のその余の主張について

 関電が、「本件原発の稼動が電力供給の安定性,コストの低減につながると主張」したことに対し、裁判所は,「極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べで論じるような議論に加わったり,その議論の当否を判断すること自体,法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが,たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている」と反論。

 また、関電が「原子力発電所の稼動がC02排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張」したことについても、「原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって,福島原発事故は我が国始まって以来再大の公害,環境汚染であることに照らすと,環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである」と明快に示しました。

(2014年5月21日、山本雅彦)

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