世界文化遺産に登録か!? 今、話題の富士山。日本を代表する山として親しまれてきました。過去には大きな噴火がありました。その実相は・・。(細川豊史)
数十万年の歴史を持つ富士山。最も近い大規模噴火である江戸時代の宝永噴火(1707年)では、大量の火山灰が江戸にも積もるなど大きな被害を出しました。火山灰が直撃した静岡県小山町を訪ねました。
「小山町には噴火の様子や被災した人々の復旧の苦闘を記録した貴重な歴史文書が多く残されています」
同町生涯学習課の学芸員、金子節郎さん(41)はこう語ります。
住民苦闘の様子
同町生土(いきど)地区で書かれた「降砂記」からは、噴出物の大きさの推移がわかります。噴火翌日の1707年12月17日から、「桃李のごとく」(17日)→「豆麦のごとく間に桃李のごとくあり」(18日)→、「微塵のごとく間に豆麦のごとくあり」(19日)と、変わっていきます。
障った岩石の大きさが初めはモモ、スモモくらいから豆麦くらいになり、さらに細かくなっていったことを示しており、実際の火山灰層と一致しています。
冨士浅間(せんげん)神社の社務所には、家屋の被災状況を一覧で記した文書「須走村家並み書き上げ」が展示されています。家屋の持ち主、広さに加え、被害を示す「焼失」「潰家」という文字が並び、噴火のすさまじさが伝わってきます。
「田畑が火山灰でつぶされ、村中総出で除去にあたっているが、及ばない」と、農民が幕府の代官に訴える文書も。これらは同町の町史にも収められています。
金子さんは、「被害の状況を示す文書がこれだけ残っていることからは、住民の復旧への思いの強さが伝わってきます」と話します。
国は予算つけて
こうした古文書記録は今の防災にいかされています。
「宝永噴火で降り積もった火山灰層を分析するだけでなく、古文書に書かれた当時の目撃記録と照合すると、噴火が始まってから終わるまでどのような勢いで推移したかが時刻単位でわかります。古文書記録は重要です」
こう指摘するのは、火山学が専門で宝永噴火の古文書記録を研究している静岡大学教育学部の小山真人教授(同大学防災総合センター副センター長)です。
「宝永噴火と同じような噴火が異なる季節や風の状態のもとで起きたらどうなるか、条件を変えてシミュレーションし、被害を想定することができます」
小山教授が委員を務めた内閣府の富士山ハザードマップ検討委員会が2004年に作成したのが、噴火の被害がどこまで及ぶのかを想定した「富士山ハザードマップ」です。
昨年(2012年)、新たに山梨、静岡、神奈川の3県は「富士山火山防災対策協議会」を設立。ハザードマップにもとづく各市町村の具体的な避難計画を検討しています。
ここで問題となるのが国の姿勢です。国は同協議会にオブザーバー参加するにとどまっているため、避難計画づくりに国の予算がつきません。そのため、本来必要な調査ができないと小山教授は指摘します。
「貞観(じょうがん)噴火(864年)のマグマ量は宝永噴火の2倍であったことがハザードマップ作成以後に新たにわかるなど、富士山噴火の新しい知見が得られています。しかし、予算がないためそれらを反映して新たにシミュレーションすることができず、想定外の事態に十分対応できるか懸念を持っています。国が責任を持って予算をつけるべきです」