「再稼働反対」「原発ゼロ」の思いを乗せ6月2日、東京電力福島第1原発事故の被災地・福島県から、ふくしま復興共同センターの呼びかけで17台のバス、約700人が「6・2ノーニュークスデイ」に参加しました。
バスが到着し、続々と「南相馬」や「須賀川」「郡山」など、県内各地ののぼりが会場にはためきました。
福島県医療生協は鮮やかなピンク色に、一人ひとりのメッセージを縫い合わせて作った「原発ハイロ」と書かれた横断幕を持参。職員の男性は「集会に参加できない人たちの思いを持ってきました」と話しました。
東京・明治公園で開かれた「原発ゼロをめざす中央集会」で共同アピール文を読み上げた福島市の大橋沙織さん(21)は、アピール文中の「安倍首相が『事故を経験した日本の原発は安全』といって、輸出をすすめている」という一文に怒りを込めました。「首相の言葉は信じられません。ネズミ1匹で停電したり、汚染水も簡単に漏れたり、原発事故の収束のめどはたっていません。とても、いらだちます」と話します。
震災から2年経過しても復興できず、崩れたままの漁港の写真を手にしていたのは、浪江町から二本松市の仮設住宅に避難している漁師の渡部春治さん(79)です。東電に対し、「漁師みんな怒っている」と静かに話します。震災前までシラウオ、ホッキ貝、アイナメなどの漁をしていました。渡部さんが生業(なりわい)の場としてきた海は放射能に汚染されました。「漁をしても、食べてもらうことができなくて悔しい」
「(津波で流された)俺の船はまだ田んぼの中だよ。船と建てて8年目だった家も気がかり」といいます。
デモ行進で黙々と歩いた渡部さんは「ちゃんとした補償をしてほしい。それしかない。参加して、たくさんの人が『原発反対』という思いなんだと感じた。参加してよかった」とうなずきながら笑顔を見せました。
首都圏反原発連合の「国会大包囲」に参加した福島の青年たち。
「参加してよかったです。みんな怒っていましたね」。そう語るのは、友人に誘われて参加した福島市内に住む男性(24)です。これまで抗議行動や集会に参加したことはありませんでした。話には聞いていましたが、どんな行動が行われているのか「自分の目で見てみたかった」といいます。福島に住んでいても、原発事故の影響について実感がありませんでした。「明治公園にあったブースをいろいろ見てまわり、本当に大変な事故だったことが分かりました。これからもエネルギー問題など、いろいろ考えていきたいです」
徳島・・ふるさと歌い「ピースラン」
日本共産党徳島県委員会、反核・憲法フォーラムなど20団体と個人で構成するさよなら原発徳島実行委員会は2日、「NO NUKES 徳島集会」を徳島市で開き、250人が参加しました。
各政党スピーチで、日本共産党の上村きょう子参院選挙区候補は「安倍政権は国民の願いに背を向け、再稼働に固執し、輸出を推進している。共産党は収束宣言の撤回、再稼働や輸出をやめ、原発の即時ゼロを掲げたたかう」と表明しました。
徳島民医連主催「ピースラン」の延べ70人のランナーが集会会場まで30キロを走り、ゴールしました。女性ランナーは「毎年参加している。今年はノーモア・フクシマの思いで走った」と語りました。
集会後は、「ふるさと」など歌いながら行進し、アピールしました。子どもを連れて家族で歩いた女性は「原発は反対。子どもが生まれ、その思いが強くなった」と話しました。
鹿児島・・九州全県から県庁包囲
幅広い市民98団体でつくる「さよなら原発3・11鹿児島実行委員会」は2日、「原発のない南九州の未来をみんなの手で」を合言葉に人間の輪で県庁を取り囲もうと「ノーニュークス・フェスティバル」を鹿児島市で開きました。
7月に「新規制基準」が施行され、九州電力川内(せんだい)原発(薩摩川内市)再稼働が全国に先駆けて狙われているとし、福岡、宮崎、熊本など九州・沖縄全8県から2100人が駆け付け原発ゼロを訴えました。
参加者は手作りの横断幕やノボリで「川内原発再稼働反対」「子どもを守ろう」とコールしながら鹿児島県庁までパレード。周囲約1・5キロの県庁を取り囲み、川内原発1、2号機再稼働に容認の伊藤祐一郎知事に県民の命を守るようアピールしました。
48回目となる鹿児島市の原発ゼロ行動に最初から参加している白澤葉月さん(48)は「一日も早く原発ゼロを決断し、この行動をしなくてもいい日がくることを望みます」と話しました。