東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で2年3カ月になります。東京電力は宅地や建物などの財物賠償を始めました。原発事故被害者が今後の生活設計をたてるうえで重要な賠償です。その実態はどうなっているのか。 (柴田善太)
自宅戻れず、家買えず
福島県浪江町は4月の警戒区域再編で立ち入り規制が緩和されたものの全町避難が続いています。日本共産党の馬場績(いさお)町議の自宅がある津島地区は、放射能の年間積算線量が50ミリシーベルトを超える恐れがある帰還困難区域に再編されました。
3月末に東京電力は宅地・建物等の賠償手続き開始を発表しました。馬場議員の場合、賠償額はどうなるのか-。
宅地の賠償額は、原発事故前の2010年度の固定資産税評価額×1・43で計算します。馬場議員の自宅は1平方メートルあたりの賠償額は3289円。避難先の二本松市の住宅地「345・74平方メートル、1670万円」の売地の場合、1平方メートルの価格は4万8400円。賠償額とはけた違いとなります。
建物はどうか。
建物の賠償額は、固定資産税評価額や県内の平均新築価格をもとに計算する方法、不動産鑑定士が現地調査する方法があります。
馬場議員の自宅は1979年に建てたもの。東電の方法では築年数につれて賠償額がどんどん低くなります。馬場議員の自宅の賠償額は平均新築価格をもとに算出した場合、1平方メートルあたり7万4000円。県内の11年の平均新築価格は1平方メートルあたり約16万円。賠償額の2倍以上です。
馬場議員は「自宅には戻れない。避難先では家も買えない。これでは被災者は再出発できない」といいます。
馬場議員は原発事故直後の11年6月議会から、賠償を被災者と東電のやり取りにするのではなく、行政がかかわって解決するべきだと主張してきました。
「住宅の再取得ができないことが最大の問題だ」−。東電の宅地・建物賠償について浪江町の馬場有(たもつ)町長は力説します。
馬場町長は政府に対し、公共事業の土地収用なみの賠償額にするべきだと提案しましたが、「いずれ(町に)戻るんでしょ」という回答でした。
町のアンケートでは若い世代を中心に30%、6000人が町に戻らないと答えています。
馬場町長はいいます。
「町に戻る人の生活も、戻らない人の生活も再建させるというのが町の立場。『戻らない人はその人の勝手だから低額でいい』という政府の発想と全く違う。全町民生活再建にふさわしい賠償基準の見直しを求めていく」
農機具たった60万円?!
福島県南相馬市小高区の杉本静子さん(76)は夫の幹夫さん(81)と7・5ヘクタールの田んぼでコメを作ってきました。
2011年3月11日、農作業の最中に地震と津波に襲われ、作業着のまま、機械もその場におきっぱなしにして避難しました。東京電力福島第1原発事故が追い打ちをかけ、原発から20キロ圏内の自宅も田んぼも警戒区域に指定され戻ることはできなくなりました。
12年4月に警戒区域から避難指示解除準備区域に再編され、昼間は自宅に戻れるようになりました。
しかし、田んぼの大半は津波で海水を浴び、楓械はさびついてバッテリーは上がった状態です。
農機具は賠償では償却資産として扱われます。「価値の減少分」を割り出すことが農家に求められます。
杉本さんは賠償の仕方が分からないため、ことし5月、東京電力主催の請求手続きの会合に参加しましたが、書類の不備ということで東電担当者との話は平行線。計算ができない場合の「農機具一括60万円」の選択を提示されました。しかし、トラクターやコンバインは取得価格400万~500万円するものです。
党市議が尽力
納得できない杉本さんは日本共産党の渡部寛一市議に相談。渡部市議と計算をして書類を作り直し再度請求をしました。その結果、約600万円の賠償金を得られました。
杉本さんは「10分の1の賠償金ですまされるところだった。助かった」と話します。
渡部議員は4・5ヘクタールの田んぼでコメを作る農家でもあります。渡部市議は16種類、取得価格約1500万円の農機具の賠償請求をし、約500万円の賠償額になりました。農機具を再取得できる額ではありません。
渡部市議は「農機具の賠償請求には、固定資産台帳、減価償却費内訳、収支計算書、所得申告書が必要になる。農家でこれだけの書類を準備して東電方式で賠償計算をできる人は少なく、一括60万円であきらめてしまう人も出てしまうのではないか」と指摘しています。
被害実態 反映した基準を
「ふるさと喪失訴訟」に取り組む馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう)弁護士の話
高齢者にとって5年、10年帰れないというのはふるさとを失ったということに等しい。せめて新しい地で、今までと同等の家で生活できるようにするべきです。
しかし、家などの財物に対する東京電力の賠償は「避難で生じた価値の減少分」を支払うというもので低額賠償になります。
しかも、登記、相続などさまざまな書類を被害者に用意させ、それがないと認めないという形式主義、書面主義になっています。本来、東電が被害者を一軒一軒回って実情をつかむべきなのです。
こういう賠償になってしまうのは、東電と国が原発事故を起こしたことにたいする真摯(しんし)な反省がないからです。
賠償は「原子力損害の賠償に関する法律」(1961年制定)の枠組みで行われています。この法律は、「事故が起きたら賠償金は払うから原発を推進する」という性格のものです。事故が起きた時は事業者に責任を集中し、国は法的責任を負わず、原発メーカーの責も一切問わない。当時の原発推進の世界的流れの中でできたものです。
事業者は責任集中といっても、賠償金が足りなくなれば、国が出す枠組みになっているので懐はいたまない。国はあくまで事業者を「支援」する役割なので2次的責任しかない。結局、責任があいまいになって、被害者救済にふさわしい賠償にならない。
今後、東電、国ペースの賠償を改めさせるため、国民の運動や裁判の前進とともに、被害者の想いや被害実態が反映された賠償基準につくり変えさせることが必要です。