「大震災・原発事故後の教育の今を語る」つどいが7月27日、福島県二本松市で開かれ、県内の保育園、小中高校の保育士、教師と、日本共産党の神山悦子県議が報告しました。
3・11後の教育語る集い 行政に注文
福島市の保育園の保育士は、園外への散歩は事故以来一度も行っていない、外遊びはいまでも1日1時間以内に制限、はだしで外に出せないので、どろんこ遊びもできない、と話しました。
ことし再開した野菜づくりは、畑でなくプランターに購入した土を入れ、収穫しても、まず放射線検査に出し、その結果を保護者に知らせ、承諾を得、それからやっと子どもたちが食べられる、とのべました。
「できないことがまだ多いが、なにができるかを考え、子どもたちのすこやかな成長のためにがんばっていきたい」といいました。
南相馬市の市内他校の校庭に仮設校舎を建てて避難中の小学校に、この4月に他地域から異動してきた教師は、「子どもたちは元気そうに見えるが、強いストレスをいまなお受け、間借りの学校、仮設の家で、いつもだれかに気を使う生活をずっと続けている。それは赴任前の理解を超えるたいへんさだ」とのべました。
同じ仮設建物に避難4校が同居し、今春やっと特別教室ができたものの、中の設備はまだ不十分、体育館は5校でひとつしかない、などの状況を明らかにしました。
子どもたちは、最高8回、最低3回も転校を余儀なくされています。避難が3年目に入り、親が仕事や家への帰還など見通しがつかないなかで、精神的不安定を示し、さまざまな問題をかかえる子どもが多いというのが、その教師の実感です。
「人間らしく成長する条件が、こんなに奪われ、ゆがめられていて、いいのだろうか」と強く主張したのは、中学校教師の遠藤慎一さん。
気になる子がたくさんいる現実をあげます。「どうせおれたちは見捨てられたんだ」と言う子ども、「てめえ、なんで働かないんだ」と親に食ってかかる子ども、などです。
遠藤さんは、「子どもや親の現実をしっかりみて、専門家が必要な対応をしていかないと、地域をふくめとんでもないことになるのではないか」と提起しました。
高校教師の松本桂充さんは、避難区域にある高校が、生徒の避難先の複数地域(最多で5地域)に分散し開校していたサテライト校を昨春、県教委が原則1校に統合した結果、町校、家族離散、条件が悪い寄宿舎生活などを余儀なくされたとのべました。
他校と同じ条件で教育が受けられる、入学したサテライト校で卒業できる、との県教委の二つの約束は守られなかったとし、「国と県教委には、保護者・教職員の声をしっかりと聞き、長期的な展望に立ち、柔軟で生徒の立場に立った教育政策を実現するよう、強く要望していきたい」と話しました。
神山県議は、正規を増やさない教員配置など県の教育行政の現状を報告しました。
集会は公私立の教職員らでつくる「ゆきとどいた教育をもとめる福島県実行委員会」が開きました。