東京電力福島第1原発事故により避難を余儀なくされた178人が7月17日、東電に対し被害に見合った賠償を求め福島地裁いわき支部に提訴しました(福島原発避難者訴訟第2次提訴)。原告の一人、富岡町で味噌麹(みそこうじ)店を営んできた渡邉克巳さん(66)はいわき市での事業再開をめざしていましたが、東電が賠償での態度を急変させ事態が暗転しました。裁判闘争に踏み出したその思いは・・。
(柴田善太)
福島・いわき市・・渡邉克巳さん
渡邉さんは昨年(2012年)4月、東電から工場家賃、機械リース代は負担すると説明を受け事業再開を決断。7月に業者と工場建築の契約を結び、借金をして2000万円を手付け金として払いました。ところが東電は9月、機械リース代の支払いは極めて困難と態度を変えました。賠償金前提の事業再建は立ち往生しています。
体の″血抜ける″
東電から支払い困難といわれた時、体から血が抜けるようだった。それから1カ月は寝たきり状態ですよ。6代目の味噌麹店を継ぐために41歳の時、骨を埋めようと思っていた教員を退職。夜は学習塾、昼は店と頑張って店の売り上げも軌道に乗せた。子どもは3人とも娘でね。次女の夫が私の後を継ぐと決心してくれた。
自分としてはいくつかの難関を乗り越えてここまできたつもりだった。それが原発事故で一瞬にして壊されてしまった。何よりショックだったのは借金したこと。これがなければ、東電にだまされた私がばかだったとあきらめることもできる。でも、借金は子どもに残ってしまう。
富岡町上郡山の3000平方メートルの敷地に、渡邉さんの自宅、工場、畑があります。渡邉さん夫婦、次女の家族の5人で味噌づくりをして生活してきました。
自宅は恵みの土地です。フキ、ヨモギ、ウメ、カキ。タケノコもでてきて、お客さんに送ると大喜びですよ。裕福ではないけど家族一緒の満足な暮らしだ
った。
2011年の夏に一時帰宅で避難後初めて自宅に帰ってきてね。家の中はネズミの糞尿(ふんにょう)、死骸。工場はイノシシやウシが入り込んで・・・そして何より放射能でしょ。もうここで味噌作りはできないと実感しました。
今、次女と孫は新潟、次女の夫は郡山でレストランの仕事をして生活を支えています。家族がばらばらになってしまった。
東電の賠償項目に該当しない失ったものがいっぱいあるんです。
人間の尊厳かけ
原告になったのは、自分の権利を守りたい・・守りきれないかもしれないけど、この手だてしかない。今までは東電に「お願い」する形で、だまされて、土俵にも立てなかった。
周りの人は東電には怒り心頭なんだけど、「もう忘れたい」という。でも人間の尊厳の問題でしょ。しかも原発事故が起こればどこでも私らのような被害が出る。それを止めるための裁判という思いもある。
私は家族全員呼び戻せる状態にしたい。だってもともと家族一緒にいたわけだし、今後も一緒に暮らしたかったし・・。以前と同じ暮らしは無理でも、何とか家族でつくる味噌麹店をいわき市で再建できる賠償を勝ち取りたいんです
被害の実相に見合う賠償を・・原告弁護団共同代表・広田次男弁護士の話
被害に始まり被害に終わる。原発事故裁判は、被害の実相をどこまで法廷の場に反映することができるかというのが最大のポイントです。
私たちは今回の政府による避難指示地域の人たちの裁判とともに、いわき市民など避難指示地域外の人たちの「市民訴訟」(2013年3月、822人提訴)にも取り組んでいます。両者の被害の違いも見極めて、それぞれに正当な賠償を勝ち取ることをめざしています。
東電がつぶれたら元も子もないから東電の示した枠組みで賠償を進めるしかないという考え方がありますが、それは違う。原発は国の問題ですから、国の責任・役割も含めて、被害の実相に見合う正当な賠償をさせるという立場で運動、裁判を進めることが大切です。