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福島に生きる・・浪江町 仮設暮らし 松本スミイさん

福島市のしのぶ台仮設住宅で暮らす松本スミイさん(62)は、東京電力福島第1原発の事故で浪江町の自宅を離れました。松本さんは、参院選挙で初めて日本共産党に投票しました。「開票の夜は遅くまでテレビを見ていました」と、躍進を喜びます。

■投票した理由は

「安倍さん(首相)ではダメです。憲法を変えて自衛隊を国防軍にしようと言っています。今度は自民党に言いなりにならない共産党に負けてほしくなかった」。東日本大震災後にあった福島県議選でも浪江町議選でも入れたことのなかった松本さんが、初めて日本共産党に投票した理由の一つです。

「安倍内閣では戦争をする心配がある」と不安に思う松本さん。「高校生になる孫たち若者を侵略戦争に巻き込ませることのないように憲法をなんとしても守ってほしい」

日本共産党を支持した二つ目の理由は、消費税増税に頼らない別の通があると対案も示して増税反対を主張していたからでした。

「早く復興住宅を建て、暮らしを安定させてほしい」。そう思う松本さんたち被災者にとって消費税増税は大変な負担になります。

「私たち避難者が原発事故でこれほど苦しんでいるのに増税でさらに被災者も含めて重荷を背負うことになります。節約節約の避難生活のうえに、先も見通せない暮らし。増税など許せない」

さらに、東電福島第1原発の汚染水が海にもれていることが発覚するなど収束などしていないのに再稼働しようとしている自民党政府に松本さんの不安は増すばかりだといいます。

「すべての原発は廃炉にしてほしい」という松本さん。最も共感できたのは、日本共産党が再稼働に反対し、原発をゼロにして自然エネルギーヘの政策転換を求めていることです。

■生きがい奪われ

松本さんは、葛尾(かつらお)村出身で浪江町の農家に嫁ぎました。3人の子どもが5歳、9歳、10歳のときに夫は病死。洋和裁の専門学校を卒業した松本さんは、縫製工場で働きながら子育てしてきました。

二十数年働いた会社は、リーマン・ショックで倒産。その後大熊町のスーパーで働きました。

大震災の2011年3月11日はスーパーでの仕事を終えて、浪江町の家で休んでいたときでした。経験したことのない激しいゆれ。屋根瓦が落ち、家の中もメチャクチャ。翌日、浪江町津島の親戚宅に身を寄せましたが、浪江町の指示で猪苗代町のホテルに避難しました。

生活環境の変化でストレスから体調を崩しました。滋賀県に住む長女の家に移るものの、眠れない日が続き病院通い。今年4月に福島に戻ることを決意してしのぶ台の仮設に入居しました。

働き続けて一戸建ての家を持った松本さんにとって仮設は狭く、壁一つで仕切られた部屋は「プライバシーが守られずストレスは解消されていません」。

「働き続けられることが生きがいです。1時間でも2時間でもいい。働きたい」「正論を言っていて、それを行動に移してちゃんとやる」。躍進した日本共産党の活躍に期待しています。     (菅野尚夫)

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