1本のビデオがあります。軽快な音楽をバックに太陽光パネルを抱えて運び、地面に敷いていく人々。兵庫県宝塚市の市民が作った「宝塚すみれ発電所」第1号の建設の記録です。(君塚陽子)
えっ、こんなに簡単にできるの? その秘密はパネルの角度です。通常は20~30度が推奨されているところを「5度」に。
「敷石にパネルの上下を止めるだけ。設置も元に戻すのも簡単と、神戸の太陽光発電設備会社が開発した手法です」と言うのは、発電所をつくったNPO法人「新エネルギーをすすめる宝塚の会」(REPT)代表の中川慶子さん(71)です。
発電を始めて9カ月。発電量が思うように上がらず、周りの柵がパネルに影を落としていることを見つけ撤去したり、シートを突き破ってくる雑草に驚き、みんなで草を引いたりとメンテナンスも手作り感覚です。発電所を管理する合同会社の代表社員、井上保子さん(54)は「よう働いてや~といつも声をかけています」。
中川さんたちは、1981年に「原発の危険性を考える宝塚の会」を結成しました。「米スリーマイル島の原発事故(1979年)をきっかけに反原発の運動をしている夫(故中川保雄神戸大元教授)に誘われて」と中川さん。10年前には市民発電所作りも考えましたが、採算面で二の足を踏みました。昨年(2012年)7月に始まった固定価格買い取り制度で採算の見通しが生まれます。
行政も変化
行政の変化もありました。2011年6月、市議会は「会」が提出した「自然エネルギーによるまちづくり」の請願を採択。市は12年4月に「新エネルギー推進課」を新設。同課が始めた再生可能エネルギー連続セミナーは、市民発電に関心を持つ人々の出会いの場にもなります。
「すみれ発電所」を技術面から支援する太陽光発電会社「テルッツォ」・代表の西田光彦さん(52)もその一人。10年、「これからは太陽光エネルギーの時代」と東京から宝塚市にUターンし、家業の電気店を継ぎました。「ゆくゆくは地域に電力会社がつくれたらいいね」
2号建設へ
同市の取り組みにひかれ、東日本大震災の被災地から移住してきた若い夫婦もいます。佐藤佳子さん(36)は昨年4月、岩手県から宝塚市へ。「3・11で震度6を体験したのは3度目。地震は『また来た』 って感じだけれど放射能は不安がいっぱい。子どもを安心して産みたいと移住を決めました。ツイッターで関西に住む人たちに相談すると、みんな『宝塚がいいよ』と。原発反対と同時に″電気を作る″というのがいい」と元気いっぱいです。
10月には「宝塚すみれ発電所」第2号の建設が始まります。市と共催で、持ち帰れるミニ太陽光発電のワークショップも開く予定です。井上さんは「市民の認知度はまだまだ。ようやくスタートです」と気持ちを新たにしています。(随時掲載)
各地で風や太陽光などを利用した自然エネルギー発電を始める人たちがいます。そんな″電気をつくる人々″を追います。
宝塚すみれ発電所第1号 設備容量11.14キロワット、建設費320万円、1口10万円の建設協力金(擬似私募債)で資金を調達。年間売電収入約45万円を協力金返済にあてる。建設の様子は、メイキングビデオで見ることができます。http://rept.or.jp