原発の危険向き合う判断を
―最高裁判決の多数意見の問題点は?
国の責任を考える上では、被害発生を予見できたかが1点目のポイントです。予見可能だとすれば、それを防ぐために国にどういう権限があったのかが2点目になります。
その上で規制権限を行使していれば、被害の発生を防げたのか、その順序で考えていきます。これまでの判例もそうしてきました。ところが最高裁判決の多数意見は、1、2点目の判断を示していない。非常に奇妙な判決です。
多数意見は、仮に規制権限を行使していても津波による浸水を防げなかった可能性があるとして責任を否定してしまっています。法的な論理からすると重大な不備があります。
最高裁の二面性
―なぜ、そのような判断となったのでしょうか。
最高裁には二つの顔があります。
一つは、大きな被害が発生した時にそれを救済するという顔です。もう一つは、国の政策にかかわることについてはそれを肯定するか、あるいは判断しないことで事実上肯定するという顔です。
今回、最高裁の多数意見では、政策を擁護する顔が前面に出てしまったというのが、私の受け止めです。
その裏にはジャーナリストの後藤秀典さんが指摘するように、大手の法律事務所を介した最高裁の裁判官と原子力村との癒着という問題もあると思います。
―判決は、どんな影響がありますか。
司法試験を目指す学生が最高裁の多数意見のような答案を書いてくれば不合格だと思います。下級審の裁判官もそれは分かっている。しかし、判決が出てしまうと右にならえしてしまう。
6・17最高裁判決が出る前は、国の責任を認める判決のほうが多かった。判決後の高裁・地裁の判決は、全部「国に責任なし」です。裁判官に矜持(きょうじ)はあるのかという思いがします。
推進政策が加速
―今後について、どう考えますか。
過去の公害問題でも、弁護士や学者の主張や理論だけでなく、社会の動向や運動が車の両輪になって、裁判所を変えてきました。
判決後、一気に岸田政権の原発推進のギアがあがりました。汚染水も放出されましたし、老朽原発の延命化も言い出した。岸田政権の暴走にブレーキが利かなくなってしまった。
この判決を克服しないと原発推進に歯止めがかからないことになってしまう。2度目、3度目の重大な原発事故が起きかねないと思います。
最高裁に判断の欠落をきちんと認識させて、正面から原発の危険に向き合う判断をさせることが運動の焦点です。
(「しんぶん赤旗」2024年6月17日より転載)