高速増殖炉「もんじゅ」などを運営する日本原子力研究開発機構(原子力機構)の元職員6人が、日本共産党員やその同調者であるなどと機構側から「敵性判定」され、賃金・昇格差別を受けたとして損害賠償を求めた裁判の判決が14日、水戸地裁でありました。廣澤諭裁判長は「差別的取り扱いがあったことは事実」として、機構に原告5人へ計4691万円(請求額1億6200万円余)の賠償を命じました。
原告は1969年から70年代に当時の動力炉・核燃料開発事業団(動燃、後に原子力機構へ組織統合)の茨城県内の事業所に入職した6人です。
判決は、提訴のきっかけとなった動燃総務部次長だった故西村成生さん宅で見つかった「西村資料」について、「動燃の業務に関連して作成したもので、信用性があるものと認められる」と認定しました。
「西村資料」をもとに、廣澤裁判長は86年ころまでには「共産党員ないしその同調者と目される組合員の思想傾向を判定と評してA、B、Cなどとランク付けして差別的取り扱い」があったと認めました。
「判定」によって、遠距離や枢要ではない配属先に異動させる「ぶんまわし」や、特定の部署に長期間配転したり、会議や研修から外す「封じ込め」が行われていたと認定。その一方で、「転向」を働きかけ、「転向」したものには昇任を認めるといった処遇があったことも認めました。原告が「昇級においても著しく低い処遇を受けた」と認めました。
判決は、「71年ころから動燃内の労働組合で使用済み核燃料再処理工場の設置に反対するなど安全を軽視してスケジュールを優先する動燃の姿勢を批判する勢力が影響力を持った」と述べ、差別政策の背景に言及しました。
他方、損害賠償請求権の一部について時効を過ぎたとして、退職時期が早い今井忠光さん(73)の請求を認めませんでした。
判決後の会見で、定年までの29年間、岡山県の人形峠事業所に配転させられた高野真一さん(70)は「今まで絶対に負けないと頑張ってきた。やはり筋を通してきて良かった」と発言。定年まで32年間、洗濯場での業務だった椎名定さん(69)は「原告団長の小松崎賢治さん=昨年7月に死去=に引っ張られてここまでやってきた。ここにいなくて残念」と語りました。
(「しんぶん赤旗」2024年3月15日より転載)