日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 福島に生きる 南相馬で“農業踏ん張る”  米を初めて試験栽培 杉 和昌さん(51)  新規就農2年目 横山真二さん(46)

福島に生きる 南相馬で“農業踏ん張る”  米を初めて試験栽培 杉 和昌さん(51)  新規就農2年目 横山真二さん(46)

東京電力福島第1原発事故による放射能被害を受け、福島県の耕作放棄地の増大に拍車がかかりかねない状況です。そのなかで、南相馬市内の農家が試験栽培した稲を収穫、困難を乗り越え踏ん張る決意を新たにしました。 (福島県・野崎勇雄)

とにかく除数を

台風26号が近づく2日前の10月14日、同市原町区片倉で稲を刈り取る軽快なコンバインの音が響きました。第1原発から直線距離で約21キロの場所。全市的に米を作付制限したなかでの試験栽培ながら、3年ぶりの収穫です。

運転していた杉和昌(すぎ・かずまさ)さん(51)は、「農事組合長ということもあって今年は試験栽培に取り組んだ。放射能が検出されなければいいが」と淡々としたなかにも笑顔を見せました。

杉さんは原発事故前、成牛30頭、育成牛25頭を飼い、2・1ヘクタールの水田を耕作する農家でした。事故発生後、一家7人で新潟県へ避難。住むアパートを決め、3日後には杉さん1人が戻ってきました。牛を処分し、新しく成牛16頭、育成牛9頭で再出発。その間、父母が帰ってきたものの、妻と3人の子どもは避難したままです。

「周りには休業した人もいるが、私は農業一筋だから。牛を飼ってないと次のステップにいかないのかなと続けてきた」と言う杉さん。「とにかく除染をきちんとしないと、帰ってくる人もこれない。早く元のようにしてほしい」と語ります。

苦労気にならず

一方、会社勤めをやめて新規就農した横山真二さん(46)は、2年目を迎えました。「仙台まで通勤していたが、仕事が意にそわなかった。原発事故でいやな思いをして、反発もありました。地元で何かつくれるもの、とくに人間にとって根源的な『食』にたずさわりたいと考えたのがきっかけ」といいます。

同市原町区の妻の実家で農業研修し、今年から畑50アールを借りました。「望んで農業を始めたので、苦労も気にならない」。作物はネギ4、カボチャ1の割合。「ネギは奥が深い。妻の父親がネギづくりで地域の信頼を得ていた。そう言われるようになりたい」と語ります。耕作面積を拡大していく計画を立て、着実に進み始めました。

農林水産省資料によると、日本の耕作放棄地は調査した1980年から年々増え続け、2010年には40万ヘクタール(滋賀県とほぼ同じ面積)となりました。

福島県の耕作放棄地面積は全国トップクラスです。県の調べで2万2394ヘクタール(2010年)。南相馬市は699ヘクタールと他自治体と比べて多い方ではありませんが、大震災後のデータがある耕地面積を比べると2010年8400ヘクタールから津波被害などのため2011年6100ヘクタールへと2300ヘクタール(27・4%)も減りました。

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