「避難者の孤立死を防がないとだめです。すでに5人も亡くなっています」。小川貴永さん(43)は、福島県郡山市にある「双葉町富田若宮前仮設住宅」の自治会長です。双葉町民57世帯109人が避難生活をしています。
10日発見できず
故郷へ帰れないまま5人が避難先で亡くなりました。30代、50代、60代各1人と70代2人。「30代の男性は10日間発見できませんでした。朝は見回りをしていますが、夜間や休日などの対応策を検討しなければ」
狭い部屋。睡眠不足、運動不足などからストレスが健康をむしばんでいます。30代の男性は急性心不全でした。肺気腫も起きていました。多くが心疾患で亡くなっています。
小川さんが自治会長として心がけていることは「みんなの完全賠償が一日も早く解決すること、新たな出発が可能になるまで健康で長生きしてもらうこと」です。「何の償いも受けないままに命を奪われていく。こんな不幸なことはない」と感じるからです。
10年前に東京からUターンして果樹栽培をしてきた小川さん。あの「3・11」は、東京電力福島第1原発から2・8キロの自宅近くに農家レストランを夏までにオープンさせるため、外壁工事をしていました。「尋常ではない激しい揺れでした」。地面に亀裂が走り、黒い水が噴き出てくる液状化が起きました。
海からたったの200メートル。逃げる後ろから迫り来る津波。「間一髪で逃げ切りました。すぐに妻と祖母が居た浪江町の実家まで車を走らせました」
浪江町で家族の安否を確認。双葉町に戻って救援活動に加わり、役場に泊まり込みました。
役場の窓には放射線量計がおかれ、12日の夜が明けると防護服が配られだしました。朝7時すぎでした。「30分後にベント(排気)する。10キロは離れてください。行け!」。町長(当時)の指示はそれだけでした。
賠償を求め提訴
1町6反の土地を開墾し、クリ、柿、梅を育て収穫できるようになったときでした。「10年間の努力が1日でダメにされた」と悔しがります。さらに、養蜂も手がけ、蜂蜜を生産販売。東京の大手デパートで取り扱うブランド品として流通していました。「ハチも死にました。全滅です」
人生丸ごと奪われた損害なのに、東京電力の賠償は一部だけ。「加害者が賠償額を決めるのは本末転倒」と双葉町、広野町、楢葉町、南相馬市などの避難者38人と総額約19億4000万円の損害賠償を求めて提訴した福島原発避難者訴訟に加わりました。
「原発事故の様相は、『収束』どころか手の施しようもない事態が次々と起きている」と感じています。
「放射線量が薄いから海に流していいという発想が狂っています。漁師だけの問題ではなく、土地や空気など1次産業全体の問題です」と小川さん。「避難者の人たちは高齢者が多い。生きているうちの賠償でなければダメです」と早期全面解決を訴えます。(菅野尚夫)