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原発事故起きたら…全国の教訓に/福島の体験知って 横浜で「14年展」

会場からの質問に答える村田さん(奥左)、松本さん(同奥)=1日、横浜市神奈川区

横浜市神奈川区で開かれていた「福島原発事故14年展」(実行委員会主催)で1日、福島原発かながわ訴訟原告団長の村田弘(ひろむ)さんと、「市民が育てる『チェルノブイリ法日本版』の会」の松本徳子さんが、2011年の原発事故当時の体験や現在の思いなどを語りました。

 村田さんは南海トラフ巨大地震の新たな被害想定の報道を受け、「体験をなるべく封じ込めてきたが、原発事故が起きたらどうなるのか、話しておく必要がある」と話し始めました。

 定年退職後、福島県の南相馬市に帰郷し農作業を楽しむ生活の中、8年目に震災と原発事故に遭遇。避難所での4日間と横浜市までの「逃避行」を振り返りました。今も1年に1回除草剤をまきに帰ることしかできないのに、民間の住宅に入居しているため「2万5千~2万6千人と言われる避難者数に私は入っていない」と指摘。災害関連死2348人などをあげ、被害の実態に理解を求めました。

 各地で提起された原発事故の損害賠償を求める訴訟のうち4件について国の責任を認めなかった22年の最高裁判決を、村田さんは厳しく批判。神奈川の訴訟は現在最高裁に上告中です。

 福島県郡山市に住んでいた松本さんは、当時12歳の娘の鼻血が止まらなくなり神奈川県に避難。事情があり同市に戻って5年目の今も「福島は本当に何も変わっていない。福島だけの問題にしてほしくない」と訴えました。

(「しんぶん赤旗」2025年4月4日より転載)