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福島に生きる 生業訴訟第2陣追加提訴に参加 安斎通さん(72) 今度は当事者として

 東京電力福島第1原発事故から10年と1カ月。福島県二本松市に住む安斎通さん(72)は、「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発事故訴訟第2陣第2回提訴(今年3月9日、福島地裁)の原告に加わりました。

 「生業訴訟のたたかいを外野席から応援してきたのですが、私自身グラウンドに降りて行き、何らかの役割を果たしたい」と、意気込みます。

 安斎さんは、福島県の職員でした。福島県農業開発公社で働いたこともある安斎さん。浪江町津島地区や川俣町山木屋などの畜産振興のための農地開発事業にかかわっていました。「故郷をなくした津島の人たちの悲しみは人ごととは思えません」と、津島地区の避難者に思いを寄せます。

 労働組合は福島の沿岸部への原発建設に反対していました。「それでも原発事故で爆発を起こすとまでは考えられなかった。言葉にはできないほどの衝撃でした」と10年前を思い出します。

■長男夫妻の選択

 事故当時、37歳だった長男から「孫はあきらめてほしい。子どもはつくらないことにした」と、告げられました。

 「ショックでした」と安斎さん。長男夫妻は低線量被ばくの危険性について知識があって、子どもへの影響について不安を持っていました。二人で話し合った結果、「子どもはあきらめる」ことにしたのです。苦渋の選択でした。

 「許せないと怒りがわいてきました。自らのたたかいとして国と東電の責任を追及しようと原告に加わりました」

 福島県猪苗代町で勤務していた長男は、11年4月から福島市内への転勤が決まり、福島市内のアパートの掃除を済ませて、引っ越しの準備も整っていました。猪苗代町出身の女性と結婚し、このアパートで暮らす予定でした。

 新婚の喜びは原発事故で苦難を強いられることとなったのです。

 当時、福島市内の放射線量は高く「福島市内に住むのはやめましょう」と、長男夫妻は話し合って決めました。

 長男は、猪苗代町から約1時間近くかけて福島市内に通勤することにしたのです。

 安斎さんは言います。「こうした福島県民の心の奥底の憤りは全国の皆さんにはまだまだ伝わっていません。長男夫妻は結婚して10年になりますが、その胸中を思うと、悔しくて、切なくて、悲しい」

■一歩も引かない

 中学、高校、社会人と野球一筋でした。安達高校の外野手として春の県大会では準優勝したこともあります。

 「長嶋、王全盛のころ。娯楽といえば野球。毎日野球に明け暮れていました」という安斎さん。「国と東電を相手に守備も打撃戦も一歩も引かないでたたかいます」と、スポーツマンらしい決意を述べています。(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年4月26日より転載)