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福島に生きる 仮設津島診療所医師 関根俊二さん(77) 浪江で続けたかった

 福島県双葉郡浪江町津島。東京電力福島第1原発へは、最も近いところで約4キロ、町役場の津島支所からは約30キロです。原発事故により、現在も津島地区の全住民が避難生活を余儀なくされています。

 10年近くにわたる避難生活で体に変調をきたした人たちの健康と命を守っている医師がいます。関根俊二さん(77)です。

 二本松市の災害公営住宅「石倉団地」にある浪江町国民健康保険仮設津島診療所で診療を続けています。

■命と健康を守る

 浪江町の震災関連死は435人(2019年9月現在)にのぼります。津波・地震による直接死者数の182人を大きく上回っています。大震災からまもなく10年を迎える浪江町にとって、健康と命を守ることは焦眉の課題なのです。

 大震災前、津島地区にあった診療所は山間部の過疎地域ということもあり、なかなか医師が定着しませんでした。その診療所に、郡山市の国立病院の外科医だった関根医師が単身で赴任したのは1997年、55歳の時でした。

 関根さんは東京・江東の生まれ。東京大空襲にあい、父親の故郷の福島県石川町に疎開しました。

 関根さんは、福島医大の外科医局を経て国立郡山病院で約20年勤務。その後、へき地勤務を希望し、津島診療所に赴任しました。

 「3・11」の日は診療所にいました。余震が落ち着いたころをみて郡山市の自宅へ帰りました。

 当初は比較的安全だと思われていた人口約1400人の津島地区に、町民約8千人が避難してきました。何も持たずに避難してきた人たちは、持病の薬を求め、診療所の前に長い列をつくりました。普段なら40人程度の外来患者数が、この日だけで330人を超えました。薬はすぐに足りなくなりました。

■二本松市に移転

 3月15日、原発事故で津島地区にも避難指示が出されました。診療所は二本松市に移転しました。関根さんは避難所をまわり、住民の健康管理にあたりました。関根さんが装着していた放射線の積算線量計の値は、3月12日から15日までの4日間で0・8ミリシーベルトに。診療所という屋内での値で、屋外にいた町民はさらに多量の放射線を浴びたものとみられます。

 津島地区の住民は、国と東京電力に原状回復と損害賠償を求めて裁判を起こしています。7日に結審し、判決は7月30日になりました。

 「津島の診療所で医師生活を終えたかった」という関根さん。裁判で陳述書を提出しています。

 「津島地区がきちんと除染されて放射線量が低下し、避難解除となり、住民の方もみんな安心して帰ってこれて、診療所が再開され、後任の医師も見つかり、何の問題もなくなってから住民の方々とお別れをしてやめることが可能なら最高です」

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年1月20日より転載)