トラクターで牛に与える牧草を牛舎に運び込む佐々木光洋さん。「ようやく、自分たちでつくった牧草を使えるようになりました」と安どの表情を浮かべます。(写真)
2011年3月の福島第1原発事故は、「ささき牧場」が守り続けてきた安全のこだわりを揺るがせました。牧場のある福島市西部の放射線量は低かったものの、自家栽培していた牧草が、県からの通達で使用自粛を余儀なくされたのです。
牛乳の出荷も事故後1カ月は停止されました。「搾った牛乳を畑に捨てたときは、本当につらかった」と光洋さん。同じ県内でも線量や被害状況は違うのに、ひとくくりに語られる理不尽さ、悔しさ…。
事故直後から放射性物質の検査結果をホームページで公表し続けました。原発や放射能問題を基礎から学び、冷静に物事を見極める力を養ったといいます。
あれから10年。土の入れ替えなど除染対策が進み、牧草づくりや子牛の屋外への放牧も再開。牧場の姿勢に顧客が離れることはありませんでした。
「賠償はしっかり東電に対応させなければなりません。一方で、この経験を自分の血肉にして生かしていこうと思うんですよ」
(写真・記事 佐藤研二)
(「しんぶん赤旗」2021年1月10日より転載)