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福島に生きる 阿武隈山系でキノコ栽培 工藤義行さん(75) 里山よみがえらせたい

 福島県相馬市玉野にキノコ栽培農家の「妖精の郷」があります。ここで工藤義行さん(75)と妻の菊子さん(67)は菌茸類と山菜類を栽培しています。

 農林水産省の職員だった義行さんは早期退職して50代で新規に就農しました。登山の途中で出会ったキノコや山菜に興味を持っていました。

 東北農政局職員として、福島で30年、勤務しました。

 入念なリサーチの結果、宮城県南部から茨城県北部にかけて広がっている高地で、大部分が福島県に属している阿武隈山系の一角にある玉野こそキノコ作りには最高の場所だ、と結論。2002年に菊子さんと移り住みました。

 菌床シイタケ・原木干しシイタケの菌茸類・行者ニンニク等の山菜類をJAに販売し、03年には地元国道115号線に直売所を開設し、売り上げを順調に伸ばしてきました。

原木2万本廃棄

 生産も軌道に乗り始めた矢先に起きたのが、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故です。広範囲にわたって農地・山林・川が放射能で汚染されました。

 福島全域で露地栽培の菌茸類・山菜類が全て出荷制限されたのです。

 工藤さんは山に置いていた乾燥シイタケ3トン分のホダ木(原木にシイタケの菌を植えたもの)約2万本をすべて廃棄にしなければならなかったのです。

 「負けてはいられない」。原木乾燥シイタケ栽培のため、12年に補償金でハウスを建設し、長野県、秋田県の原木を購入して施設栽培を始めました。栽培労力がかかり、換気扉、散水等経費も掛かりましたが、発生量は極端に少なく、品質も思った以上に粗悪なものでした。14年分を露地に戻しました。

山は放置のまま

 原発事故から9年半。「里山をよみがえらせたい」という一念から、山の再生に立ち上がりました。原木のホダ場としてスギ2000本、原木林としてクヌギ1500本を植林。20年後に希望をたくしたのです。

 「更新伐採をしなければ山は再生されません。いまだに阿武隈山系の山は放置されたままです。更新伐採とは、新しく山を作るのではなく、主伐できるレベルに育っている木を皆伐し、世代交代することにより、新たな森の活性化と再生を目的としています」

 東電の原発事故は、四季の喜びを奪いました。祭りも、盆踊りも中止。学校も閉鎖になりました。

 折々の山の幸が全部ダメになりました。

 「怒りまくっている」と工藤さん。「国も東電も加害者意識のかけらもない。原発再稼働などとんでもない」

 「生業(なりわい)を返せ! 地域を返せ 福島原発訴訟」の原告としてたたかっています。(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2020年12月2日より転載)