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福島に生きる 貫いた原発建設反対・・相馬双葉漁業協同組合請戸ホッキ会会長・志賀勝明さん(65)

「一度でいい、福島に来て確かめてほしい」と呼びかける志賀さん
「一度でいい、福島に来て確かめてほしい」と呼びかける志賀さん

「(汚染水は)『完全にブロックされている』などとふざけたことを言ってほしくない」と強く抗議するのは、福島県の相馬双葉漁業協同組合請戸(うけど)ホッキ会会長の志賀勝明さん(65)です。

安倍首相の国際オリンピック委員会での発言について志賀さんは許せないのです。「悔しいです。ホッキ貝の漁を1980年から30年以上やってきました。『完全にブロックされている』のならばなぜ漁が再開できないのですか! 俺らの生活はどうなるのか」と怒ります。

南相馬市小高区の海岸付近の村上で生まれました。家は代々の半農半漁。高校卒業後、家業を継ぎました。約2町歩の田んぼを耕す傍ら、「農業はだめになる」と、30代から漁業に比重を置いてきました。

魚が遊泳・通過する場所に網を張り漁獲する刺し網漁でカレイやヒラメをとってきました。刺し網漁は資材の網代などがかさみ、利益が低いためホッキ貝の漁に転換しました。

73年、25歳のときでした。東電福島第2原発の建設計画が持ち上がりました。同年9月、建設の是非を問う公聴会が福島市で開かれました。志賀さんはこのとき反対の立場で意見陳述しました。

漁業関係者のほとんどが「建設賛成」の立場に立っていたため大変な風あたりとなりました。「漁師仲間からは話をしてもらえない。『沖にいっても助けてあげないぞ』と脅される」という“村八分”にあいました。

福島第2原発建設差し止め訴訟の原告団にも加わりました。すると浪江町請戸漁協青壮年部を除名されてしまいました。

「海でも自分の身は自分で守るしかない」と、潤滑油、燃料、冷却水をしっかり点検して漁にでるようにしました。

そうした厳しい状況にあっても地域の人たちからの信頼は厚かったのです。75年、27歳のときには旧小高町の連合青年団の団長になりました。

東北電力が68年に発表した「浪江・小高原発」建設をなんとしても阻止しようと、青年団が中心となって日本科学者会議の専門家を呼んで講演会を開きました。青年団が主催して開いた原発問題学習会は、誘致賛成も反対もきたんなく出し合い、少数意見を排除しないで決めてきたことがよかったと当時の経験を語ります。

「浪江・小高原発」建設計画は今年(2013年)3月、南相馬市議会や浪江町議会など関係自治体が反対を決めて断念させました。

「原発に頼るエネルギー政策は福島原発事故で失敗だったことが明白になったのです。反省もしないで再稼働させようとする。輸出までする。許せない。(安倍首相は)謝罪してほしい。怒りがおさまりません」

区長会を中心に完全賠償を求めてたたかい続けています。
(菅野尚夫)

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