日本共産党嶺南地区委員会 > しんぶん赤旗 > 福島に生きる ふるさとを返せ!津島原発訴訟原告団事務局次長 窪田たい子さん(65) ふるさとの山河愛す

福島に生きる ふるさとを返せ!津島原発訴訟原告団事務局次長 窪田たい子さん(65) ふるさとの山河愛す

 東京電力福島第1原発事故から10年目。福島県浪江町の津島地区は、いまも帰還困難区域です。許可なく立ち入ることはできません。

 「私が亡くなった時には葬儀の場で流してほしい」。ふるさとを返せ!津島原発訴訟原告団事務局次長の窪田たい子さん(65)は、言います。

 「流してほしい」のは、DVD「ふるさと津島」です。「ふるさと津島を映像で残す会」が津島の全520戸余りの家屋をドローンで空撮して制作しました。ふるさとの最後の記憶を映像に残そうと作られました。住民の熱意に触れ、撮影を引き受けたのはフォトジャーナリストの野田雅也さん。バスガイドをしていた経験が買われ、窪田さんがナレーションを担当しています。

■「負けてらんに」

 「9年が過ぎ、ふるさとを追い出され、何も残すことが出来ない中、自分の仕事のやりがいと地域の人とのふれあい、行政の大切さに思いを寄せ、『負けてらんに』(負けていられない)という気持ちでナレーションを引き受けました」といいます。

 「私たちのふるさと津島は、すばらしいところです。事故を起こした原発から北西に約25キロ、阿武隈山地に抱かれた静かな山村でした。山があり、水が清く、花が咲き、人はやさしい」。そんな浪江町津島を住民から奪ったのが2011年3月11日の原発事故でした。

 「まさか夫の誕生日に人生が一変しようとは思いもよりませんでした。生まれ育ったふるさとを奪われることになろうとは」

 今も福島市内に避難している窪田さん。ふるさとを語り出すと涙がこみ上げてきます。

 元気で働き者だった義母は、すっかり弱ってしまいました。認知症も患いました。葉タバコなどの農作業を手伝う元気そのものだった義母。「もし原発事故が起きず、今も皆で津島の自然と家族に囲まれた生活をしていれば、こんなに弱ってしまうことは無かった」

 原発事故前から人工透析を受けていた夫の病院への送迎は今も続けています。「家事に介護に送迎」の日々。避難先の街ではマンションの窓を開けても、心を癒やしてくれる津島五山の一つ日山(ひやま)はありません。

■気持ち分かって

 幼い頃、父が歌ってくれた民謡「相馬流山」。つらい事があると、自宅の前に広がる日山を眺めながらよく歌っていました。

 「自然豊かなふるさとを放射能で汚されてしまった私たちの気持ちを重く受け止めてほしい。ふるさとに帰れない気持ち、家族が壊れていく気持ちをよく分かってほしいです」

 原告団の集会で、窪田さんは「相馬流山」を大きな声で歌い上げました。目を閉じて歌いました。ふるさと津島の大自然を思い浮かべながら。

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2020年7月11日より転載)