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芦浜原発「白紙撤回」から20年・・恵みの海 次の世代に

南伊勢町に残る石碑

三重

 政府が国策として推進する原発。三重県南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる芦浜では、南島町民の37年間に及ぶたたかいが中部電力(中電)の原発立地計画を阻止しました。知事が計画の白紙撤回を発表してから20年。「原発を止めたまち」と記された石碑が残る南伊勢町で、海を守るため反対を貫いた住民の思いを聞きました。(玉田文子)

 「福島第1原発事故を目の当たりにしたとき、反対を貫き通してよかったと確信しました」

 南伊勢町古和浦の小倉紀子さん(78)は、こう話します。漁協の理事だった夫の正巳さん(故人)と長年、反対運動の最前線に立ち続けました。

 芦浜に原発計画が浮上したのは1963年。

 南島町では人口約1万5千人のうち約8千人に及ぶ反対署名が県知事に提出されます。芦浜に漁業権を持つ古和浦漁協はじめ町内7漁協が反対を決議し、海上デモや漁民大会など猛烈な反対運動を展開し、67年に計画をいったん中断させます。

国の主導で

 しかし77年に国主導で計画が復活し、三重県も「原発予算」を計上。中電は多くの工作員を民宿に常駐させ、古和浦漁民に無料で飲食を提供するなど金を使った執拗(しつよう)な推進工作によって古和浦漁協を切り崩していきます。

 小倉さん宅には、正巳さんが漁協の理事に当選した89年ころから昼夜を問わず嫌がらせや脅迫電話が鳴り、頼んでもいないベッドや差出人不明の100通以上の郵便物、かみそりの刃が入った手紙などが毎日のように届きました。

 「ひどい人権侵害をやめさせてほしい」と小倉夫妻らは法務局に訴えましたが救済されず、警察に訴えても何の対策もありません。

 それでも、「先祖から預かった海はそのままの形で次の世代に渡すもんや」と語る正巳さんの姿を見て、「夫が海守る言うんやったら、私は子どもを守らなあかんやろと思って運動を続けてきた」と話します。

共産党町議

 中電ばかりか県職員による住民の説得工作も行われ古和浦漁協の原発推進派が拡大するなか、「『芦浜突破』を何としても食い止めなければ」と91年、当時47歳だった手塚征男さん(76)が南島町に移住して選挙に挑み、初の日本共産党議席を獲得。住民と議会が一体となった反対闘争の実現につなげました。

 一部地域には「共産党お断り」のステッカーが貼り出され、選挙事務所は36戸に断られ、ポスター500枚がはがされるなど選挙戦は困難を極めました。

 同町出身の岩崎晋作さん(79)は「公然と原発反対を掲げてたたかう初の候補者として手塚さんが19人中9位で当選した。当選の報に近所にあった他候補の選挙事務所からも歓声が上がった」と回想します。

 手塚さんは議会の初質問から原発の危険性を指摘。「漁業の町に原発はいらない」と訴え、町長のあいまいな姿勢を厳しく問い、議場の空気を一変させます。

 中電と推進派による連日の無言電話攻撃を警察に通報しやめさせるなど公然と反撃。国保料の引き下げや町議らの公費での飲み食いの廃止も実現させます。

 「当時は反共攻撃や共産党への偏見も強かった。それでも原発反対で住民と力を合わせて運動を広げる、それしかないと思っていた」と手塚さん。住民からは「共産党は原発反対をともにたたかい生活を守る仲間」として支持され、初当選から8期29年間議員を続けています。

芦浜原発阻止のたたかいを振り返る(左から)手塚さん、岩崎さん、小倉さん

署名81万人

 住民は町ぐるみの反対運動を続けますが、93年に原発推進派が古和浦漁協の執行部を握り、翌年、原発反対決議が撤回されます。

 原発建設の前提となる「海洋調査」受け入れを決める漁協の臨時総会は住民2千人の座り込みなどで辛くも流会にさせます。「推進派が多数を占めた漁協に危機感を持つ人が多かった」と地元の歯科医、大石琢照さん(63)は振り返ります。

 若者から原発立地の是非を広く県民に問う「県民署名」が提案され、大石さんは実行委員長を引き受けました。

 95年に始まった県民署名は半年間で有権者の過半数を占める81万人もの反対を集約。「原発立地活動の冷却期間」を県に設定させ、知事の「白紙撤回」表明に結実。37年間に及ぶたたかいに終止符が打たれます。

 ただ、大石さんは、「白紙撤回されても中電の土地は、まだ芦浜に残っている。放射性廃棄物処分場などに使われないか不安がある」と話します。

 中電は、芦浜のほかに大白浜(旧海山町=現紀北町)と城ノ浜(旧長島町=現紀北町)、井内浦(熊野市)も候補地と公表しました。日本共産党三重県委員会はいち早く原発の危険を告発するビラを配布。各地の反対運動が計画を阻止し、中電に土地を買わせませんでした。

 「原発反対海山町民の会」の事務局長を務めた山下正行さん(81)は、「共産党の議員が漁業者や住民、労働者と一緒になって運動したことが大きかった」と話します。

 芦浜「撤回」後も住民運動は続き2013年からは毎年、共産党も参加する「原発なくせ三重県民会議」など100を超える団体が「一日共闘」で結束し、「さようなら原発三重パレード」を実施。古和浦の小倉さんや手塚議員らは各地で芦浜のたたかいを伝えています。

 小倉さんが訴えます。

 「国は原発依存を止めず福島を忘れたかのように再稼働を続けています。電気よりもお金よりも人の命が大切だという当たり前の考えに立ち返ってほしい」

(「しんぶん赤旗」2020年5月5日より転載)