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津波、風化させたくない・・震災遺構が伝える「あの日」

13-12-01syasin2保存めぐり議論つづく

東日本大震災の被災地で、震災遺構の保存の是非が問題になっています。津波を風化させない意味がある一方、保存には自治体に財政負担が生じ、「もう見たくない」という声も。そんななか、市民の力を生かして保存する取り組みが進められています。
(吉武克郎)

手を合わせる人が絶え間なく訪れます。宮城県南三陸町の防災対策庁舎。町職員ら43人が犠牲になった建物です。残った鉄骨が、津波の恐ろしさを物語ります。

「追悼の場と思って来ました。実際に見ると、涙が出る」。同県東松島市の女性(72)は声を詰まらせます。しかし、保存については「寒々としているから、なくしたほうがいい。子どもが遊べるような公園にしたらどうか」。住民の声はさまざまです。

町は9月、一度は解体を決めました。しかし11月、国が遺構保存に財政支援をする方針を示してからは、解体を一時凍結しています。今後は、設置される有識者会議の判断を待ちます。

話し合って

保存を視野に、一足早く踏み出した動きもあります。

「多くの方が町に来てくださる。津波を後世に伝えるものが、写真ではなく、実物であったほうが良いのではないか」

宮城県内で観光事業を宮む阿部長商店(本社・気仙沼市)の伊藤孝専務は言います。

13-12-01syasin 同社は南三陸町の結婚式場「高野会館」が壊滅的被害を受けました。被災時、館内にいた327人は屋上に逃れ、全員救出。同社は8月、建物を当面は保存すると決めました。将来については町と話し合って決めたい、としています。

遺構を生かしてつくられた、被災者と支援者の交流場所もあります。

宮城県石巻市で中華料理店を営んできた尾形勝壽さん(68)の店舗跡。津波で店と妻・きみ子さん=当時(59)=を失った尾形さんが「津波を風化させたくない」という思いの有志と力を合わせ、残った鉄骨と土台を基に、人が集まれる場所「ありがとうハウス」をつくりました。

一緒にいる

「ここで、あの日のことを伝えたい。それに、この場所だと、母ちゃんと一緒にいる気がするよ。ここを、また人が住む町にしたい」

敷地には厨房車を置き、ご当地グルメ「石巻焼きそば」をつくります。テレビでも紹介され、全国から人が訪れます。

震災直後から石巻で支援活動をしてきた奈良県の藤岡広美さん(26)は「時間がたって、町並みはきれいになったけど、当時の大変さがわかるものもなくなりました。こういう存在は貴重です」。

「ありがとうハウス」を運営する一員で、宮城県内の大学の非常勤講師・野村尚克さん(40)が話します。

「被災地の人たちは、津波が忘れられることに不安をもっています。遺構を行政が残すには、いろんな難しさがあるでしょう。だからこそ、市民の取り組みには意味があると思います」
(レイアウト 丸山裕子)

(写真⑤↓) 宮城県石巻市の「ありがとうハウス」。被災者と支援者の交流の場です。 元は中華料理店で、 残った骨格を生かしています。店主がつくる「石巻そば」に、 訪れる人が笑顔をみせます。
(写真⑤↓) 宮城県石巻市の「ありがとうハウス」。被災者と支援者の交流の場です。
元は中華料理店で、 残った骨格を生かしています。店主がつくる「石巻そば」に、訪れる人が笑顔をみせます。

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