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福島に生きる 生業訴訟原告 小田邊志津子さん(71) 地球に原発いらない

 東京電力福島第1原発事故をめぐり、原発事故被害者を励ました判決がありました。3月12日、仙台高裁(小林久紀裁判長)であった福島原発避難者訴訟の控訴審判決です。東電の責任を認め、賠償額も増額しました。

■勇気づけられた

 「勇気づけられた」というのは郡山市に住む小田邊志津子(こたべ・しずこ)さん(71)です。

 小田邊さんは「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告です。「今度は私たちの番です。東電だけでなく国の責任もはっきりさせたい」と、同じ仙台高裁での「生業訴訟」控訴審判決の結果を待っています。

 小田邊さんは、3人の娘を育て、東日本大震災の時は三女と一緒でした。福島市内にいました。「この世の終わり」と思わせる揺れ。雪が降る中、6時間半かけて郡山市にもどりました。

 「味わったことのない9年間。70年間生きてきて初めての体験」と東日本大震災・福島原発事故後の日々を振り返ります。

 小田邊さんの仕事は浄水器の販売です。夫は不動産業です。「大震災による影響で3割減収となりました。収入のない時期もありました。追い打ちをかけたのが消費税増税でした。打撃は大きいです」

 暮らしを支え合う中小業者の団体である民主商工会に入っていたことが「一筋の光」となりました。

 原発事故後、「中通り」と言われる郡山市から福島市にかけての放射線量は急上昇しました。放射性物質が到達していたのです。

 放射能の雲は福島第1原発から北西方向に流れて福島市あたりで安達太良山系にぶつかって、そこから南下。栃木県や東京方面に流れて行きました。

 市民らは、放射線量が高い中で、水を確保するために一家総出で並びました。ガソリンもなく何時間も並びました。

 長女と次女は、事故前から首都圏で暮らしています。小田邊さん夫妻は郡山に残り、三女は姉たちの住んでいる埼玉に避難していきました。夫妻と三女の3人は、生業訴訟の原告に加わりました。「東電の反省の無いごう慢な振る舞いに我慢ならなかったから。地球上に原発はいらない」

■責任追及したい

 小田邊さんはいいます。「郡山市は原発事故で避難してきた人もたくさんいます。郡山市民と一体になって国と東電の責任を追及していきます。生業訴訟原告の私たちの役割は大きいと思っています」(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2020年4月11日より転載)