東京電力福島第1原発事故から10年目に入ります。事故原因や原発の安全性について「三つの検証」をとりまとめる新潟県独自の総括委員会で委員長を務める池内了・名古屋大学名誉教授に、原発をめぐる課題などについて問題を聞きました。
(松沼環)
――事故から9年たちましたが、現状をどう見ていますか。
東京五輪・パラリンピックもあって、政府によって帰還政策が強引に進められています。福島第1原発事故をなかったことにする、いかにも日本的なやり方に僕は今、一番怒っています。
福島の問題を帰還困難区域に局限し、それ以外はあたかも安全であるかのように見せかけていますが、そうではありません。
避難が解除された所も除染で年間被ばく線量を20ミリシーベルト以下に抑え込んでいますが、その場所を少し外れればその値を簡単にオーバーする所もあり、その中で、「復興神話」だけがまかり通っているからです。
福島第1原発の汚染水の問題では、政府は表に出ず、ひそかに海洋に捨てる方向に持ち込む作戦を取っているようです。強行されれば再び大きな社会的影響を及ぼす問題となるでしょう。海洋に捨てることを急がず、福島第1原発周辺の土地を利用すれば、汚染水をためるタンクはもっと造れるはずです。
廃炉も全体工程は見直さず、見かけ上スムーズに進んでいるように見せたいのでしょう。今後、おそらく時間がたつに従って矛盾が出てくると思われます。
特に、放射能汚染は時間がたつと影響を突き止めにくくなることが問題です。そのため放射線の健康への影響は、きちんと統計を取らないといけません。ずっといた人、途中で戻った人、戻らなかった人、その差をきちんと調べることが特に重要だと思います。
放射能や補償の問題では、人々が分断され困難が固定化される状況が続いています。
私たちが、事故原因や健康と生活、避難の検証を進めているのも、こうした状況を真正面から捉え、新潟県の人たちが自ら東電柏崎刈羽原発をどうするかの選択の参考にしてくださいということなのです。福島の人たちが、事故を経て原発は一切いらないと言っている状況を新潟県民がどう受け止めるかではないでしょうか。
――福島原発事故の検証を続けているのは新潟県の検証委だけです。
政府や国会は、事故の直後に報告書を出しただけでその後、一切検証をしていません。現在は、裁判で一部の検証がなされているという皮肉な状態です。
健康の問題では、福島県が甲状腺の調査をしていますが、それ以外、例えばPTSD(心的外傷後ストレス障害)など含めた心のケアの検証は、公的にはなされていません。
新潟県の検証委員会には、原発に賛成の人も反対の人も幅広く入って議論しています。原発が立地する県や自治体はこういった独自の検証委員会をつくるべきではないでしょうか。そして、検証委員会同士が意見を交換できたら、互いに違った視点でみることができます。
現状では、日本の自治体は県や国の伝達機関になっており、自分たちで物事を決める発想が薄いという状況であり、立地県に期待したいですね。
実際、福島第1原発の事故の厳しさ、大変さをみてきたので、ちょっと待てよという意識はあるのではないでしょうか。地方自治が本来果たすべき役割を発揮できる問題だと思います。
住民の声次第で行政が変わる可能性があることを認識すべきです。新潟がその一例です。
――現在、日本では9基の原発が再稼働していますが…。
日本の国内では、原発に頼る経済は小さくなっており、現状は脱原発に動いていることは明らかです。自然エネルギーが大きくなっています。日本は時間がたつに従って原発から足を洗わざるを得ないでしょう。
日本の電力業界をいかに変えていくかということが大事です。発送電分離もほとんどごまかしで、大電力会社の子会社が配電することになっているようです。結局、現在と変わりません。電力業界の本当の自由化―発電、送電、配電を完全自由化することが大事です。
また、関西電力大飯原発の運転差し止めを認めた福井地裁判決(2014年)にあったように「人格権」―安心して原発など心配せずに生きるという権利―が本当に大事にされる社会であるべきではないか、といった考え方が広がる必要があると思います。
もう一つは原子力規制委員会をどう見るかです。規制委のような組織は必要ですが、市民がその活動を監視し、「規制委員会を規制」していくことが大切です。
いけうち・さとる 1944年生まれ。総合研究大学院大学名誉教授、名古屋大学名誉教授。宇宙物理学専攻。著書に『科学者は、なぜ軍事研究に手を染めてはいけないか』など。2018年から「新潟県原子力発電所事故に関する検証総括委員会」委員長。
(「しんぶん赤旗」2020年3月20日より転載)