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【表層深層】発注前協議が常態化 関電金品受領報告書・・森山氏、原発協力 癒着の原点

 関西電力第三者委員会は金品受領問題の報告書で、高浜町の元助役森山栄治氏(故人)と関電との癒着が始まった原点として、原発事業への貢献の数々を指摘した。いずれも1970~80年代にさかのぼるが、その後も原子力事業本部の上層部が抱き込まれた。森山氏関連企業への発注では、事前協議が常態化する関係へと発展した。【1面に本記

 ▼▽激高

 96年夏、京都市の料亭で森山氏の怒声が響いた。「地元産業を育成するということを忘れるな」。向き合ったのは関電の原子力部門の上層部や原発所長ら。森山氏のそばには柳田産業の幹部が座っていた。

 会合のテーマは、翌年度の同社への工事発注額。森山氏は関電側が明確な金額提示ができなかったため激高した。会合の約2カ月後。個別に原発所長らを呼び出し調整を重ねていた森山氏は、柳田産業の社長名で書かれた手紙を持って関電の関連部署に現れた。

 「各サイト(原発)所長より別添資料のごとく回答を頂きました」。柳田産業の翌年度分の工事が決まった瞬間だった。業務日誌では、こうした要求が「毎年、金額、強要度ともエスカレート」していたと指摘した。

 ▼▽病根

 関電と森山氏の異様な関係はいつ始まったのか。報告書によると、森山氏は高浜町企画課長を務めた75年ごろから、当時の町長浜田倫三氏(故人)とともに関電と高浜原発3、4号機増設に向け協議。地元漁協、町議会、県などと折衝した。

 森山氏に関する資料には、地元組合からの苦情に関し「組合を説得し個人の問題とするよう切り離し工作をしてくれた」と記述。「(86年のチェルノブイリ原発事故の際は)地元団体からの町に対する陳情書を公にしなかった」との内容も。

 森山氏は関電役員らの前で、関電のドンと呼ばれた元代表取締役名誉会長芦原義重氏(故人)や、元副社長内藤千百里氏(故人)の両者を挙げ「一緒に増設を行った」と関係性を強調。この2人は87年、「関電の二・二六事件」といわれる社内抗争で役職を解かれた。

 その後も影響力を持ち続けたことについて関電OBは「原子力部門の上層部が取り込まれた。行政にも顔が利く森山氏に、自分たちの在任時に原発関連のトラブルを持ち出してほしくなかった」と指摘した。

 2004年に11人の死傷者が出た美浜原発(美浜町)の蒸気噴出事故を受け関電は05年、原子力事業本部を大阪市から美浜町に移転した。「独立王国になっていた」。関電第三者委員会の但木敬一委員長は14日の記者会見で、原子力事業本部に経営幹部らの監視が行き届かず「病根がそこにあった」と断じた。

 第三者委の調査方法 関西電力とグループ会社の役職員や関係者ら計214人に対し、延べ248回のヒアリングを実施した。削除されたメールなどを復元する「デジタルフォレンジック」(電子鑑識)も活用。80人分のメールを対象として抽出したほか、削除されたパソコン内のデータを復元するなどして、森山栄治氏との面会や交渉の記録などを調べた。他に原子力事業本部の幹部らを中心に書面調査をし、604人から回答を得た。さらに現職だけでなく退職者も含めた幅広い関係者から情報を得るため、約3万6千人を対象にしたホットラインを設置したところ、計140件の利用があった。

(福井新聞2020年3月15日より転載)