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福島に生きる 生業訴訟第2陣原告 遠藤光義さん(82)・・信念は「絆を大切に」

遠藤光義さん

 「教え子ありて 我あり」と語るのは「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟第2陣原告の遠藤光義さん(82)=福島市=です。

■中学教員務め

 山形大学教育学部を卒業。37年間、福島で中学の教員を務めました。山形県は、生活綴(つづ)り方教育の無着成恭らを生み出し、その影響をうけました。

 遠藤さんは「『学級通信』や『学年通信』を発行し、生徒、親、教員の絆を大切にしました」。「子どもや親と密着していないと本物の教育はできない」という信念で教育に携わり、遠藤さんの教え子4人が教員になっています。

 戦争が終わった時、遠藤さんは、小学1年生でした。近くには山形県の神町飛行場(現・山形空港)があり、学校の授業は防空壕(ごう)への避難訓練と竹ヤリの訓練に明け暮れました。

 戦争が終わると米軍が駐留。戦後の混乱期を振り返りつつ、「一番うれしかったのは学校に行ける。友達と再会できること」だったと話します。

 「姉が教員で憧れました」。教員の道を歩んだのは、姉の影響からだったといいます。

 山形県立東高校夜間部職員室で給仕のバイトをして学費を稼ぎました。試験用紙のガリ版刷り、ストーブへの石炭入れ、お茶出しなど、バイト体験時期の教員たちとの接触・交流は、その後に遠藤さんが教員になるための基本となって生かされました。

 1959年10月公開の映画「人間の壁」(山本薩夫監督)の上映会にいきました。岸信介内閣下の教育労働争議を通じて、人間として、教員として成長していく姿を描いた映画です。

 教職員組合の執行委員を務め、福島県内を回りました。教員仲間に支えられたといいます。

 福島県の沿岸部に原発建設が持ち上がった時に遠藤さんら教職員組合は、建設反対でたたかいました。しかし、住民の訴えは届かず、結果として原発事故が起きました。

■山形地裁判決

 昨年12月17日、山形地裁は原発事故について国の賠償責任を認めず、避難した原告734人中5人だけに44万円の支払いを命じた不当判決を出しました。「生まれ育ったふるさとの裁判所の判断が最悪の結論。悲しい。怒りしかない」と憤ります。

 「原発事故は地球に汚点を残しました。政治の責任です」と遠藤さん。「福島の沿岸部に原発を造ることには真っ向から反対してきました。司法も間違いを起こし、建設を容認した判決を出しました。日本の政治の貧しさです。一生を貫くたたかいです」。決意を新たにしています。

 (菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2020年1月11日より転載)