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福島に生きる シイタケ栽培農家 大橋清美さん(73)・・山の環境戻るまで

キノコを栽培する大橋清美さん

 福島県伊達市霊山(りょうぜん)町でシイタケなどを栽培する大橋清美さん(73)は「いまだに『(キノコは)食えるのか』と言われる。風評ではなく実害です」と言います。

■原発訴訟の原告

 野生のキノコは現在もすべて出荷規制がかかっています。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告に加わりました。

 霊山町は阿武隈山系の北部に位置しています。2011年3月の東京電力福島第1原発事故から3年間はキノコが全く売れませんでした。

 14代続く葉タバコ、蚕農家でした。清美さんの父親の代からシイタケ、ヒラタケ、ナメコなど7種類のキノコを約10トン栽培するキノコ生産者に変わりました。今は5~6トン生産して販売しています。

 「山でつくるキノコは良いのができます。水分、風、木漏れ日が最高に栽培に適しています。山の地肌に菌床を埋め込んで栽培できるキノコもあります。現在は放射能のために栽培はできません」

 原木にキノコ菌を植え付けて栽培する方法だと収穫までに2年間かかりました。菌床栽培だと、春から秋にかけての1年間のサイクルで収穫できます。「1972年ごろから地域の仲間3人で始めました」

 福島第1原発事故から1年目は、植菌した菌床から5000ベクレルの放射能が検出されました。発生したキノコからも検出され、出荷停止となりました。花ワサビは現在も出荷できません。地元の原木が使えず今も秋田県産のものを使っています。「豊かな環境を元に戻さないとだめだ」

 「キノコ栽培は手をかけないとうまくいかない」と言います。

■農業委員24年間

 農業委員を24年間務めています。「原発事故から8年間は農民の利益を守るための毎日でした」

 現在でも「福島のキノコは要らない」と露骨に言われます。

 「原発事故から8年以上が過ぎました。半分は仕事を元に戻すためにいろいろやらなければならず復旧に費やしました。あと半分の年月は生産量を回復させるために必要な時間でした」

 福島県から山形県に避難した734人が国と東京電力に損害賠償を求めた裁判の判決が17日にありました。

 判決は、国の責任が認められなかっただけでなく、東電は原告5人にわずか44万円を支払うという不当判決。

 大橋さんは、東京電力の経営陣が刑事裁判で無罪判決となったことと重なり「ふざけるな」と怒りの思いを強めています。

 次男の妻と小学生だった孫たちが2年間山形県に避難したこともあったので、山形地裁判決は「ひとごとではなく承服できない」と言います。

 生業訴訟原告の大橋さん。原告団・弁護団が取り組んでいる「公正な判決を求める」署名を広げないといけないと、生業訴訟の仙台高裁の控訴審判決にむけて決意を新たにしています。(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2019年12月23日より転載)